■自分の意志を「原因」として
さて、因果関係をぬきにしては、人間の営みや歴史は語れません。つまり因果関係そのもの自体が我々にとってキーポイントとなります。
「人間」や「科学」との「因果関係」のかかわり、また現代に至るまでの人間という生物の発展は、科学とテクノロジーの力に負うところが大きいようです。
そして科学とテクノロジーという営みには、因果関係が深く結びついています。その意味で、われわれ人間が自分自身の営みや歴史を理解しようとするとき、因果関係という視点は不可欠です。
科学という学問的な営みの進展もテクノロジーの著しい発達も、他の生物から人間を大きく隔てている特徴であり、われわれの歴史の重要な局面を形づくっています。
だからその核心にあるものこそ、この世界で生じる現象を因果関係という点から解明し、またそれをうまく応用できないか、ということの追求にほかならないのです。つまり、因果関係の究明が重要だということです。
◆◇◆◇◆ ◆◇◆◇◆ ◆◇◆◇◆
知識を教養に昇華させる
世の中に存在するすべての物事に「不易」と「流行」があります。 現実に、直面している問題や話題になっていることが、そのどちらなのかを見極めて時代を読む必要があります。
そのために必要なのが「教養」です。 教養とは、単なる知識のことではありません。もちろん知識は大切ですが、物事の判断は知識があればすべてできるというものではありません。持っている知識をいかに有効に使うか。それが教養というものだと私は考えています。
教養を身につけるためにもっとも必要なのは、「考える」という作業です。そして考えるためには、材料となるべき知識をたくさん吸収しなければなりません。
多くの書物を読み、多くの情報を取り入れ、それらを頭のひきだしに保存し、そのひきだしから知識と情報を取り出し、組み合わせながら思考を繰り返す必要があります。
知識は言うなれば考えるための道具に過ぎません。いくらすばらしい知識をたくさん蓄えていたとしても、その道具を使いこなす術がなければ無用の長物に終わってしまいます。
道具を使いこなす術、すなわち考えるという行為を日々磨く努力が必要です。こうした地道な努力の積み重ねによって、教養は磨かれていきます。そして研ぎ澄まされた教養を通して判断することで、世の中の不易と流行がはっきりと浮き上がってくるのです。
人生に起こることはすべて必然的な過程
[因果]という言葉があります。「原因」と「結果」です。すべての物事には原因と結果が存在しています。
いい結果には、いい結果を導いた原因があります。悪い結果には、悪い結果をもたらした原因が確実に存在しています。仕事もしかり、人間関係もしかり、人生はすべて「因果」によってかたちづくられています。
時には、思うように進むことができず、悪い結果になることがあります。このようなとき、多くの人は仕方がないと考えます。「これだけ努力したのだから、もう結果は仕方がない」「頑張ったのだからいいじゃないか」と。
うまくいかなかった原因を突き止めることもせず、自己弁護と自己満足に浸ってしまいます。これはとても傲慢です。人生に対して真摯に向き合っているとは言えません。
自分が導き出した結果には、当然責任が生じるものです。その結果に責任を持つのは人として当たり前のことです。その責任を放棄して、仕方がなかったと言い訳をするのは、生き方として潔いものではありません。
失敗した原因を追求することは苦しいことでしょう。傷口に塩を塗るような痛みを伴うかもしれません。原因を突き止めることが、すなわち自分自身を責めることになるかもしれません。
それでも、しっかりと原因と向き合わなくてはいけないのです。そうすることで人間は、成長を遂げていく道を見つけることができるのです。 「失敗」はそのまま放置しておくから「失敗」になってしまうのであって、そのままにしなければ失敗になりません。
ピンチをチャンスに変える
うまくいかなかったときほど、自分にとってのチャンスだと考えることが重要です。
二度と同じ失敗を繰り返さないために、原因を分析し、学ぶべきことを学び、失敗しなければ気づけなかった自分の弱点を探し、考える時期を神様が与えてくれたと反省することが大事です。
また、いい結果が出ることももちろんあります。物事がうまく運んで、思い通りの結果を出すことができました。そんなとき人は、思考を停止させることがあります。
うれしい結果が得られたのだから、もう手放しで喜び、うまくいった原因など探る必要もないし、今このときを喜びましょう。しかし、これではいけません。うまくいった時ほど、自らに問いかけなければなりません。
「ほんとうに、これが望んでいた結果なのか」「さらに上があったのではないか」「もしかしたら今の状態はプラスではなく、プラスマイナスゼロではないのか」 そう考え続けることで、次なるステージに移ることができるのです。
現状に満足し、思考を停止してしまえば、もうそこで成長は止まってしまいます。本当に油断せず気をつけなくてはいけないのは、物事がうまくいっていると感じているときなのです。
現状維持を望むと坂道を転げ落ちる
いい結果を手に入れたとき、人は現状維持を望むようになりやすい様です。「このままの状態を維持したい」「これ以上良くならなくても、今のままで十分だ」、そういう執着が出てきた瞬間から、その人間は坂道を転げ落ちていきます。つまり、「現状維持」というものを甘く考えている人が多いということです。
しかし、残念ながら現状を維持することも難しいです。なぜなら、すべてのものは常に変化していきます。
そして、「現状維持」を考えることは、もっとも大切なことを忘れています。それは、「人生とはすべてがプロセスである」ということです。伸びていく人たちは、出た結果に決して執着しません。
私たちの人生には、いくつもの結果が現れます。しかし、大小を問わず、そのどれもが、人生という長いステージのプロセスに過ぎません。
もしも人生の総決算としての結果が出るとすれば、それはこの世を去る瞬間でしかありません。それまで人間は、長い長いプロセスのなかを生きていくのです。
一つひとつの結果に一喜一憂するひまなどありません。 たった一つの結果に絶望することも、しがみつくことも必要ありません。それらすべては、人生が生み出す数多の結果の一部に過ぎません。
情緒、理性的に因果関係を考える
「私たちは人生のプロセスのなかに生きています」。それを実感できたとき、人はまた強くなれるのだと思います。
もし、人生に結果というものがあるとすれば、それは「死」ということになります。その死に至るまで、我々はずっとプロセスのなかを生きていかねばなりません。
したがって、本物の人間とはどういう人か。それは社会的に高い地位に就いている、また、お金をたくさん持っている等 ということではありません。「自分に対して実直に生きている人」そういう人こそが本物だと言えるのではないでしょうか。
参考文献:『価値ある生き方』 井上 裕之 著 大和書房