主体的に行動を・・・

 アドラー心理学は、オーストリアの精神科医アルフレッド・アドラーが創始した心理学です。個人を全体として捉え、人間の行動に目的があると考える「個人心理学」の理論です。

「人は誰でも幸福になれる」ことを前提とし、幸せになるために必要な勇気を持つことです。さらに人生には目的があることを強調しています。「自分の行動は自分自身で決めることができる」という「自己決定性」の考え方です。

周囲の環境や先天的な要素など、自分ではどうにもできないことが影響し、行動が右往左往してしまうことは必ずあります。しかし、それらをポジティブにもネガティブにも捉えるも、自分次第です。どう対応するのかも各自に委ねられています。

人生の主人公は他ならぬ自分自身であると考え、主体性や独自性を保ち、自身の行動は自分で決める、というのが基本のテーマです。

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運命にどう対処するかで人格が決まる

「何の悩みもなく生きていくことができれば」というのは多くの人が願うことでしょう。平安の昔、白河法皇(1053~1129)が、「賀茂河の水、双六の賽、山法師、是ぞ、わが心にかなわぬもの」と嘆いたそうです。

現代ではさしずめ、どんな権力者でも自由に変えることが出来ないものとして、人の運命や過去、難しい他人の心、思うようにならない自分の悩みなどがあげられるでしょう。 アドラーの考え方で言えば、あらゆる悩みは、他者との関係の中で生まれます。人間、誰しも悩まないということはありえません。

周囲のすべてが、自分の望むとおりにはなりません。 むしろ思い通りにならないことのほうが多いようです。 他者とは必ず衝突します。人を支配することもできません。悩みは尽きません。

そうした変えがたいものに対して、どう対処していくか? ここに生かせるアドラーの知恵があります。

アドラーは劣等感を成長の基と捉えました。人間は悩むところにその成長の源があると考えました。悩みは、人間が成長していくために必要であり、悩みの中にこそ、人は成長するのです。

悩みに悩んで、悩みの本質に気がつけば、「そうか。こうじゃなくて、こうすればもっと良かったんだな」ということに気づきます。 そこで、一段、二段と、成長の階段を登ることができるでしょう。

悩むという具体的なシチュエーションの中で、その悩みを上手に、自分の成長のために生かすことができれば、それほど結構な話はありません。

ここで思い出すのは、ナチスの収容所の実態を描いたヴィクトール・フランクルの『夜と霧』です。彼は、収容所でたくさんの人が死んでいく様を見てきました。守衛を騙して生き抜こうという人がいる中で、他人の身代わりになって死んでいく人もいました。

フランクルは、そんな悲惨な状況の中で、生きる力を得るために、1日1回の笑い話を課すなどの工夫をしました。運命を変えることはできませんが、その運命にどう対応するかで人格が定まり、人生は意味を持っていきます。

「行動」が「感情」を作り出す

私たちは、空腹を覚えたとき、腹を満たそうとレストランへ行くか、また、台所の冷蔵庫を開け、料理を作ったりもします。空腹だけではなく、心に欠乏感が生まれたときも、それを満たすため、何らかの行動を起こすでしょう。

また、上司に怒られたとき、反省や謝罪の言葉を口にしていながらも、心の中は煮えくり返る思いをしていることもあるでしょう。「どう仕返しをしてやろうか」と一人で計画を練ることがあるかもしれません。

しかし、ここで少しだけ気を取り直し、上司との関係をどうしたらうまく修復できるようになるだろうかと深く考え、「行動」すると、怒られたショックは解決するかもしれません。

つまり、「行動」することでしか、口惜しさも悩みも解決することはできないのです。 そういう意味で、「行動」は人間を変えます。「感情」があって「行動」があると言う人もいますが、それはまったく逆です。

 たとえば、悲しくなくても、鏡を見て悲しい顔をすれば悲しくなりませんか? つまり、悲しい顔をすると「行動」が悲しいという「感情」を作り出しているようです。

「人間は悲しいから泣くのではなく、泣くから悲しくなる」というのが本当の話なのです。 アドラーは、悩んでいる人に「今日一日、楽しかったような顔をして行動してください」と進言されます。

以上はアメリカの心理学者が実験で証明されたことです。間違いのない事実です。人は、行動を起こした瞬間に変わるのです。

行動を「決断」することに意味がある

人は目に見える行動を基準して、行動特徴をパターン化してしまうようです。 たとえば、集中できない、だらしがないなどの行動パターンから、「発達障害」など、又、夢中になってギャンブルをやっているというだけで、ギャンブル依存症などと「病名」をつけてしまいます。

これは、行動を重視したアドラーに似ているようですが、実は大きな違いがあります。 アドラーが言う「行動主義」や「行動療法」は、行動そのものを重視しません。行動を決断することに意味があるとします。

つまり、行動を決断して、その方向を行動のほうに向けるということ、そのものに意味があるとしています。 現状を打破するために、行動を選択しなければなりません。大切なのは、選択に重きを置いていることでしょう。

つまり、決心する、決断する、責任を引き受けるというプロセスが重要なのです。このように、できるだけ具体的なレベルで考えるということは、言い換えれば、行動レベルで考えるということです。

人は、頭の中で「優しくしよう」などと、思ってもいないことを考えて自分に嘘をつくことはできますが、行動で嘘をつくことはできません。

最初はうまく行っても、付け焼刃だったらすぐにばれます。行動こそが、相手の心理を理解できるのです。お互いの存在を嬉しく思っているのかを確認する必要があります。

何が優しかったのか、どんなとき楽しそうにしていたのか、と具体的に挙げることで、自分の中で心地いい場面を定着させ、いい思い出になっていくのです。

しかも、こうして、好意的に見つけようとすることは、お互いの関係をさらに良くなるはずです。長く付き合っていても、その努力があれば、結果として末永くいい関係になります。

サルトル流に言えば、「自己投企」ということでしょうか。「自己投企」とは、現在の自分を反省して、未来に自己を投げ入れていかなければならないという意味です。

 参考文献:『アドラー知恵』 星 一郎 著 海竜社    

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