運動が脳を鍛える

 近年、脳について様々な検査機器が開発されたおかげで、驚くほど多くの謎が解明されています。研究が進んだことにより、人間の個性が生物学的にいくらか解明されていることは事実です。

脳は思いのほか柔軟であることが、様々な研究によって明らかにされております。子供のみならず大人にもいえるといえます。脳のなかでは絶えず新しい細胞が生まれ、互いにつながったり、離れたりしています。

たとえるなら、それは固まらない粘土のようなものです。では、どうすれベストな形に変えられるのだろうか。

じつは身体を動かすことほど、脳に影響をおよぼすものはないそうです。運動をすると気分が爽快になるだけでなく、集中力や記憶力、創造性、ストレスに対する抵抗力も高まります。

そして、情報をすばやく処理できるようになります。つまり思考の速度が上がり、記憶のなかから必要な知識を効率的に引き出せるようになるそうです。

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運動は創造性を高める

村上春樹氏は世に広く知られる日本人の作家で、その著作は世界中でベストセラーとなっている。また、世界の名だたる文学賞を数多く受賞し、ノーベル文学賞の候補者としても再三、名前が挙がる。

 彼はどこから作品の着想を得るのだろう?と、不思議に思うなら、2007年に出版された回顧録の題名『走ることについて語るときに僕の語ること』(文藝春秋)を見れば、その疑問はたちどころに氷解するはずだ。

この本のなかで、彼は創作のプロセスを詳しく語っている。作品の執筆中は毎朝4時に起床し、午前10時まで仕事をする。

昼食を取ったのちに10キロのランニングを行い、それから水泳をする。そのあとは音楽を聴いたり、読書をしたりして過ごす。そして夜の9時ごろには就寝する。

一つの作品を書き上げるまでの半年間、村上氏は毎日こうした生活を送っているという。彼の創作のプロセスには、芸術的な繊細さと同じくらいに、運動でつちかった体力が何より欠かせないのである。

運動が創造性に計り知れない影響をおよぼすことを知っているのは、彼だけではない。作家、ミュージシャン、俳優、アーティスト、科学者、起業家など、多くのプロフェッショナルたちが、創造性を高めるために運動していると口を揃えるのだ。

アンデシュ・ハンセン氏(精神科医)の着想

運動が創造性を高めるーこれもまた、アンデシュ・ハンセン氏(精神科医)は脳におよぼす運動の影響に関心を抱いた理由の一つだ。

それまで、ランニングやテニスの試合をしたあとで抜群のアイデアがひらめくことは、幾度となく経験していた。初めは偶然か、あるいは運動して単に頭が冴えただけだと思っていた。

だが、運動してから数時間の間に何度も同じようなことがあると、ひょっとしたら運動したために創造の力が増したのではないかと思うようになった。

その後、創造性と運動の関係を詳しく調べはじめると、自分の推測が正しいことを知った。アイデアがひらめいたのは、単に頭が冴えた、あるいは気分がリフレッシュした結果ではなかったのである。

着想の発展は運動

運動によって創造性が増すことは、才能に恵まれた多くの人が身をもって証明している。 たとえば、アルベルト・アインシュタインは、自転車をこいでいるときに相対性理論を思いついた。

人類史上、最も偉大な作曲家ともいうべきベートーヴェンは、40代のころには完全に聴覚を失っていたにもかかわらず、それ以降も交響曲を3曲生み出している。

日中、彼はたびたび仕事の手を休め、着想を得るために長い時間、散歩をしたといわれている。 また、チャールズ・ダーウィンは「ダウン・ハウス」という名で知られる屋敷のまわりの散歩道(彼はそれを「思索の小径」と呼んだ)を何時間も歩いて過ごした。

革新的な著作『種の起源』は、おそらく進化生物学において最も重要な文献だが、その着想を発展させた時期こそが、ここを散歩していたころだという。

近年の例としては、アップルの共同創業者でCEOを務めたスティーブ・ジョブズはしばしば歩きながら会議を行ったことで知られている。彼は会議室のテーブルを囲んで話し合うよりも、歩きながら意見を出し合うほうが成果があると考えた。

才能vs努力のエッセンス

モーツァルトは、現存する書簡のなかで、自分の作曲の手法について語っている。 それは、まさに神業だ。この伝説的な作曲家は、楽器にまったく手を触れずに傑作を完成させた。

すでに完成した交響曲が頭のなかで鳴り響き、彼はただそれを紙に書き写したに過ぎないというのである。 のちに、その曲をオーケストラが演奏したとき、最初に頭のなかで聞いたとおりの、すばらしい出来栄えだったと彼は書いている。

この天才的な芸術家に備わった、とてつもない創造の力に、私たちはただ圧倒されるばかりだ。

このようなエピソードは、創造の天才といわれる人々の脳が、私たち凡人には想像もつかない働き方をする例として、よく引き合いに出される。 だが、この書簡に書かれていることは真実ではない。実際には、モーツァルトはそのようなやり方で交響曲をつくらなかった。

あらゆる資料は、彼が仕事とじっくり向き合い、既存の作曲法や音楽理論を取り入れて曲づくりを行ったことを伝えている。

また納得がいくまで調整や修正をかぎりなく繰り返し、完壁なものに仕上がるまでに途方もない時間をかけたという。 モーツァルトが生んだ数々の傑作は、神からの贈り物などではなく、懸命に努力してつくり上げた作品にほかならない。

また、ニュートンも万有引力の法則を思いついたときのエピソードも、これと同じである。 あの、木の下に座っているときにリンゴが頭に落ちてきたという話だ。

この話には、詳しく語られていない部分がある。このアイデアがひらめく前から、彼が何十年もの間、数学や物理学に取り組んでいたこと。そして、ようやく法則を証明できたのは、リンゴが落ちてから20年も経ってからだったことだ。

もちろん、モーツァルトにもニュートンにも、「これだ!」と叫ぶような瞬間はあったかもしれない。だが、彼らのひらめきは偶然に生まれたものではなく、長い時間をかけて勤勉に努力を重ねた結果であったことを、あらゆる記録が示している。

だからといって、努力すれば誰でもモーツァルトのように不朽の名作を書き上げられるわけでも、ニュートンのようにその道の先駆者として科学史に名を残せるわけでもない。

だが、この2人の天才は、私たちの誰もが努力を重ねれば創造のカを高められることを教えてくれている。 そして身体を動かしながら努力を重ねれば、より効果的にその可能性は高まるといえよう。

『運動脳』 アンデシュ・ハンセン 著 サンマーク出版    

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