運をよくするには・・・

 ことわざに「陰徳あれば陽報あり」という言葉があります。中国の思想書『淮南子(えなんじ)』に由来しています。

「人知れず徳を積めば、必ず良い知らせがあり、陰ながら良い行いをする人は、必ず名誉が得られる」につながる言葉です。 「徳」には「陽徳」と「陰徳」の2つのタイプがあります。

まず、「陽徳」とは良い行いに対して直接感謝されたり、表彰されるなど、人に知れ渡ること、いわば「陽の目をあびる徳」といえます。

一方で、「陰徳」とは相手からの見返りや礼を求めない良い行いで「良いことをすれば、神様や仏様が見ていてくれる」 「徳を積む」の「徳」に近いでしょう。 仏教やスピリチュアルなことに興味のない方の中でも、理解していただけるのではないでしょうか。

とはいえ、誰かの「良い行い」がその周囲や他人に、良い影響を与えるのは間違いありません。損得勘定のない日々を過ごすことで、発見できることがあるはずです。

◆◇◆◇◆      ◆◇◆◇◆      ◆◇◆◇◆

徳を積む習慣

穏やかで優しいブッダのような「徳のある人」とは、一体どんな人でしょうか。 仏教における「徳」とは、慈悲や智慧に満ちた品格や気質のことで、内面の清浄さや心の平和を映し出すものです。

具体的には、誠実さや思いやり、寛容さなど、社会的に尊敬される行為や態度が挙げられます。ただし、尊敬される行為といっても、報酬や賞賛を目的とするなど、見返りを求めるものではありません。

嫉妬心や怒りといった毒のような感情や利己的な欲望などの執着から離れ、心を解き放つために徳が必要となるのです。 徳のある人は、穏やかで優しげな雰囲気を漂わせて、周囲に人が集まってくるような人です。

仏像が背負う光背や後光のように、内面から醸し出される雰囲気や、表情が穏やかで優しそうです。 丁寧な態度や言葉遣い、思いやりの心を欠かさない……つまり「徳のある人」とはブッダ、あるいはお釈迦様のような人です。

 徳のある人の傍にいくと気分が落ち着き、温かい気持ちになり、心が整えられていきます。さらにその人の周りにも良い影響を与えることができます。心の中に芽生えた思いやりの心は、周りにもどんどん広がっていきます。

心が整えられると、善意や正義、忍耐、感謝など、ポジティブな気持ちで心が満たされていきます。  一方、徳のない人はギスギスとしたオーラをまとっています。

ピリピリした感覚や、イライラした状態は周りの人にも伝わるもので、人もあまり寄ってきません。`たとえ人が寄ってきたとしても、そのオーラに触れて、メンタルに不調をきたしてしまうかもしれません。

 徳のある人がチームリーダーになれば、チーム全体の雰囲気が良くなり、結果的に業績も上がっていきます。業務量が多く困っている後輩を見かけたら「よく頑張っているな。

これだけあったら大変だ、俺も手伝うよ」と手を差し伸べたり、「みんな、手が空いた人から一緒にやろう」と周りを巻き込んだりする人でしょう。

あなたは「徳」を埋もれさせていないか

本来「徳」とは、誰しもが持ち合わせている資質のようなものです。しかし、嫉妬や怒りなどのネガティブな感情を抱くことで、心にごみが溜まり、徳は埋もれてしまいます。

埋もれてしまった徳は、きれいに磨いて、取り戻さねばなりません。正しい行いや他者への優しさ、思いやりの積み重ねによって、徳は徐々に磨かれていくのです。

植物の種に水をやり、お日様に当て、肥料を与えれば、徳の花は開きます。本来、持つ資質を磨く行為を「徳を積む」と表現できます。

徳を積むことで素晴らしい人間関係が築かれ、社会に貢献できて幸福感が高まるなど人生に様々な良い影響をもたらします。

 では徳を積めば、運は良くなるのでしょうか。仏教においては、金運や仕事運など様々な「運」と徳との間には、直接的な因果関係はありません。

徳が物質的な利益や運気の向上に繋がる保証はできませんが、ただ、徳を積むと心が穏やかになることは確かです。

心が穏やかになると余裕が生まれ、ポジティブな考え方が育まれていきます。 こうして育ったマインドが「幸運」を引き寄せ、人生が良い方向へと導かれることはあると思います。

 そもそも「運」という言葉には、運命や幸運も含まれます。これらは様々な要因に影響されるものであり、徳を積むだけでは必ずしも変化かあるとは言えませんが、徳を持つことで自己肯定感や幸福感が高まり、湧き上がるポジティブなエネルギーは周囲にも良い影響をもたらすでしょう。

その結果、穏やかな人の周りには自然と人が集まってきます。

こうした心の状態を整えていくことで、その姿を見た他者から、仕事の依頼や手助けなど、何か良いことが舞い込んでくる可能性は高まるはずです。

心を平常に保つことで余裕が生まれ、物事をしっかりと受け止められるようになります。

大谷翔平選手に見る徳と善行

大谷翔平選手がフィルードやベンチ付近に落ちているこみを拾う様子は、たびたび国内外のメデイアにとりあげられています。

大谷選手自身は「僕は人が落とした運を拾っているだけ」というコメントをしています。

もちろん、この行いが直接ホームラン数やタイトル受賞に繋がっているとはいえないかもしれません。

大谷選手のごみ拾いのように、人の嫌がることを人知れず行う善行は仏教において隠徳と呼ばれ、これも徳の一つで、徳を積むことで心に余裕が生まれ、結果として最高のプレイーに繋がっているのでしょう。

大谷選手の行動は隠徳として行われていたが、報道を通じて表に出て陽徳にもなりました。陽徳とは人に知られる善行のことであり、寄付もその一つです。大谷選手は、ファンや子供たちへ良いお手本です。

結果的に大谷選手の行動は、隠徳としても陽徳としても人の心を動かしています

「勝負の日」に向けた徳の積み方とは

 . 徳は、短期間で積めるものなのでしょうか。たとえば大切なプレゼンテーションやコンペなどが控えているとき、運気を高めて、本番に向けて徳を積むことは、心を整えて自信を持つための一つの方法といえます。

しかしながら、徳は短期間で急に積めるものではなく、日々の生活の中で長期的・日常的に培うベきものです。 小さな積み重ねによって、急に訪れる重要な日を、心の平穏と自信をもたらしてくれるはずです。

徳を積むためにできることをコツコツと実践していきましょう。

 誰かを喜ばせて幸せにする。そういった幸せはまわりまわって自分にも返ってきます。自分の行動に生じた相手の笑顔は心に長く残るものです。

それは、緊張やストレスなどとは同居せず、心の栄養になります。その状態で大切な日に臨めば、心の安定や集中に繋がり、成功への機運が高まっていくでしょう。

参考文献:『PRESIDENT 運をつかむ習慣』 2024/1/12号 プレジデント社    

 ◆ エッセーの目次へ戻る ◆ 
 ◆ トップページへ戻る ◆