挫折こそが・・・

 大概、大成功を収めた有名経営者は、知られていない多くの失敗と挫折を過去に経験した後、くじけずに何度も挑戦して成功しておられます。

取り組んでいたことが駄目になったとき、有名経営者はその原因を探って次に繋げようとしました。

自分に足りなかったものは何か、次に成功させるためにはどうすればいいのか。この一連の作業によって成長します。挫折は辛いものですが、長い目で見れば成長の糧となり自分の伸びしろとなるものです。

しかし、多くの人は、1、2度失敗するだけでその屈辱から逃げたり、能力の限界を感じたりしてあきらめてしまいます。

有名経営者が経験する度重なる失敗・挫折のエピソードは、くじけてはいけないことを教えてくれます。

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人をもっとも成長させるのは「挫折」

日本の社会を変えていくには、これまでの優等生型リーダーではなく、打たれ強く、腹をくくることのできる人間だと思います。

そんな人間になるには、どうすればいいでしょうか。失敗を恐れず、挫折を経験することだと思います。経験が挫折力となり、壁を打ち破る力となります。「挫折する」ということは裏を返せば「挑戦する」ことです。

これまでの優等生型リーダーは総じて、お勉強がよくできて、頭がよく、一方で失敗を恐れます。そのため、あらかじめ成功しそうなことにしか挑戦しないようです。

だから成功体験はあっても、挫折を知らないようです。成功しそうなことにしか挑戦しないから、ギリギリに追い詰められたときの緊張感や泣きそうになっている自分を知らないようです。

挫折とは、ある意味、能力以上のことに挑戦した結果です。それが人としての伸びしろです。

挫折することで、反省し、学習もします。けなされ、叩かれ、厭味をいわれ、人間同士のピリピリした場に身を置くことになります。それは一時的には辛い経験であっても、長い目で見れば、むしろ、難所を切り抜ける貴重な経験です。

強いトップに、挫折経験のある人が多い理由

優れたリーダーを観察すると、表のルートを歩んできた優等生よりも、傍系からはい上がった人が多いようです。キヤノンの御手洗冨士夫会長も、その一人です。彼らの多くは左遷されたり、一度は権力闘争に敗れたりといった挫折を味わっています。

 そういったところでこそ、「権力の怖さ」を身にしみて体験しました。 挫折を知るとは、敗者を知ることでもあります。彼らも挫折を味わうまでは、小なりといえど権力を持っていたはずです。

だが傍流に行くことで、これらの権力に使われ、虐げられるという体験をします。人間の心の痛みや、そこから生まれる怨念や嫉妬といった、心の闇を我がこととして体験します。

 こうして権力を行使する立場、行使される立場の両方がわかるので、本質が見えてきます。逆に、常にメインストリームを歩んできた人間は、そこがわかりません。

常に権力を行使できる者に近い位置にいるため、権力を行使された経験がありません。権力に虐げられ、煮え湯を飲まされた経験がないので、権力の本質がわからないのです。

そんな人物は「有事」にも脆く、自らの権力を有効に行使できません。人間の想像力、思考力というものは、結局は自ら身をもって体験したことに規定されます。だから宗教家は修行という人間世界の苦悩を疑似体験することで悟りをひらこうとします。

勝負は時の運……運命を受け入れることの大切さ

世の中を見回して、「なぜ、あいつばかり成功するのだろう。それに比べて俺は……」と思うことがあります。無力感や焦燥感に駆られるが、ここは耐えるしかありません。耐えることが、ストレス耐性をつける一助となります。

 このときの考え方として、「世の中、勝負は時の運」と割り切ってしまうのも一法です。自分には運が足りず、あるいは運を引きつける何かが欠けていたと思えばいいでしょう。これは、意外と世の中の真理です。

 ただ、それらの要素は必要条件ではあっても、十分条件ではありません。成功に必要な要素の5割程度でしかなく、残りの5割はやはり運です。そしてその運があるかないかは、それこそ「運命」としかいいようがありません。

 また、成功者の本音ベースでの成功の秘訣も、「たまたま自分の才能を見抜いてくれる人に、出会ったことで浮上の糸口がつかめた」「まったく売れないと思っていたアイデアが、たまたま採用されて大当たりした」など。要は人物やアイデアとの「運命」的な出会いということになります。

情と理の使い分け

リーダーが組織を統率したり、会社の経営を行ったりするとき、理論や合理性は大事です。売上と費用、資産と負債は冷徹な数字であり、金勘定の最後は血も涙もないメカニカルなものです。

だからといってリーダーがマネジメントを理詰めだけで押し進めていくと、痛い目にあうことが多いです。

これは組織を構成している要が、人間であるからです。人間は感情を持つ生きものであり、そのモチベーションは感情に左右されやすいのです。

そして、直接監視し働きかけられる人間の数なんて高が知れています。自分の見えないところで、それぞれのいろいろな思いを持って働いています。

会社というものは、経済的な目的を実現できないのも事実なのです。そこで、情と理の使い分け、すり合わせの妙が、決定的に重要となってきます。

組織のスタッフ各自が合理的に行動したとしても、その合理性というもの自体、スタッフ一人ひとりによって異なります。利益の増大を第一として、コストカットを考えるスタッフもいれば、付加価値の増大を第一と考えるスタッフもいます。

顧客獲得の増大を考えるスタッフもいます。このように各自が自分自身の合理性に合わせて行動してしまうと、リーダーの予期せぬ方向に組織が向かうこともあります。

 また、部分最適と全体最適の岨語もります。組織内の一つひとつの部署が合理性を発揮し、最大限の成果を上げたとしても、これにより組織全体が大きな成果を得られるとはかぎりません。

その部署には最良の処置であっても、組織全体にとっては最良ではなく、むしろ足を引っ張っているかもしれません。

スタッフ一人ひとりの情緒、個別性、全体を頭に入れて策を立て、初めて組織と人は思った方向に全力疾走してくれるようになるのでしょう。

 ただ、難しい局面では、情と理は相互に矛盾することが多いようです。有名な戊辰戦争後の西郷隆盛の心境です。理から生まれる力、情が生み出す力、ときに逆方向に作用する二つを折り合わせて、できるだけ同じ方向に作用させます。

本来、逆方向に作用するものを折り合わせるのに、一般的な正解はありません。リーダー自身が、どちらからも逃げず、二つの力の板挟みになりながら、必死にやり繰りしていくしかないのです。

そこからその状況で機能する固有の答えが見つかるはずです。とにかく逃げないことが重要です。

参考文献:『挫折力』 冨山 和彦 著 PHPビジネス新書   

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