学び続けるには・・・

現代は、VUCAの時代、人生100年時代、終身雇用崩壊時代という三つの時代が重なり影響しあっています。価値観が高速で変容する中で、社会人として生活する期間はこれからさらに長期化していきます。

そんな時代にあって、大人になっても学び続けること、感覚を研ぎ澄ましアップデートし続けることは社会人にとって欠かせないマインドセットです。

しかし、勉強=義務的に学ぶという感覚では疲れてしまって長続きしませんよね。これからは「学ぶを楽しむ心」が必要です。好奇心を起点に、楽しく長く学び続けるための原動力となるのが「面白がる力」です。

VUCAの時代には、今役に立っていることも、明日には役に立たなくなります。一見役に立たなさそうなことも、人生100年のどこかで役に立つこともあります。

「すぐ役に立つ」にこだわらないで、楽しく長く学び、知性を拡張し続けていくことが人生を豊かにしてくれます。

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勉強を継続するには

   勉強について考察する。この場合、勉強は知識をインプットする活動と総称する。さて、勉強しよう、勉強しなきゃと常日頃感じている人は多い。

取り組めるのは、「意味がある」か「面白い」のどちらかだ。ほとんどの場合、その動機は「意味がある」の方ではないかと思う。  たとえば、海外に赴任するので、英語を使わなければ仕事にならない。

「だから英語を勉強しなくちゃ。」というケース。ここでは勉強の目的が所与である。検定試験も強制されている、といってもよい。目的を達成するための手段もはっきりしている。  しかし、このようにあからさまに勉強に「意味がある」ケースはむしろ稀だ。

「この分野の知識を深めたいな」というような漠然とした目的で勉強しようとするケースが多いのではないか?

 しかし、これがほとんど続かない。漠然と「意味がある」と思って本や雑誌やネットの記事を読んではみる。しかし、勉強したところでどうなるのか、目的と手段の連鎖を実感できない。だからすぐに挫折する。

面白がる力

では、どうすればよいか。勉強それ自体を面白くしてしまえばよい。「ちょっと待て。そうは言っても、そもそも面白くないのが勉強なのだよ」という声が聞こえる。

しかし、そういう人は、知識の量と質を混同している。あからさまに面白そうなことであれば、強制されなくても自然と知りたくなる。

 やみくもに知識の量を増やそうとしても、面白くないのは当たり前だ。勉強の面白さは、ひとえに知識の質に関係している。上質な知識とは何か。それは「論理」である。

論理は面白い。論理の面白さが分かるようになれば、勉強は苦にならない。それどころか、自然とどんどん勉強が進む。習慣になる。単純に面白いからだ。

先に述べたように、人が継続的に取り組めるとしたら、「意味がある」と「面白い」、このどちらか(もしくは両方)だ。

「意味がある」というのは、そのことが何かの目的のために有効な手段であり、その行動に目的達成の意味があると思えるとき、人は努力を投入する。

「面白い」というのは、そのこと自体にその人にとっての価値があるということ。目的と手段がそもそも分かれていない、といってもよい。

二要因理論 

単一のものだと思っていたものが実はまったく違う複数のものに見えてきて「ハッとする」パターンがある。アメリカの臨床心理学者、フレデリック・ハーズバーグが提唱した「二要因理論」である。職務満足および職務不満足を引き起こす要因についての話であるが、この論理展開が意外に面白い。

 ハースバーグの主張の核にある。人の仕事における満足度は、ある特定の要因が満たされると満足度が上がり、不足すると満足度が下がるということではないらしい。

つまり「満足」に関わる要因と「不満足」に関わる要因は別モノという考え方だ。 人間が仕事に不満を感じる時は、問題はその仕事を取り巻く外部環境にある。たとえば、「給与」「対人関係」「作業条件」などだ。これらに問題があると職務不満足を引き起こす。

満たしたからといっても満足感につながるわけではない。単に不満足を予防する意味しか持たない。

 一方で、人が仕事に満足を感じる時は、「達成すること」「承認されること」「仕事そのもの」などに、関心を持ち仕事そのものに励むようになる。これらが満たされると満足感を覚えるが、欠けていても職務不満足を引き起こすわけではない。

 要するに、満足と不満足は1本の物差しの両極ではない。それぞれが独立の次元なのだ。ハースバーグの考え方からすれば、満足の反対は不満足ではなく、「没満足」(満足がないという状態)ということになる。

不満足の反対は「没不満足」(不満足がないという状態)だ。非常に仕事に満足していながら、同時に非常に不満足であるということがあり得るということだ。

たとえば、「達成感のある仕事だが、安月給」というケースでも、「面白い」と信じて始めることが大切だ。

なぜなら「意味がある」と思って始めても、知識のインプットそれ自体は面白くないことがほとんどなので、挫折してしまうかもしれないからだ。  主体的、自発的に勉強を続けるためには、とにもかくにも論理の面白さを経験で知ることが大切だ。

見たり聞いたり読んだりする時に、いつもその背後にある論理を少しだけでも考えてみる。

確かに少々時間がかかる。しかし、そのうちに論理の面白さを感じるようになる。論理の面白さにいくつかのパターンがあることが見えてくる。

「これ、面白そうだな」と自分の感覚に引っかかった映画を観るように、勉強と向き合える。もちろん全部が面白い論理を提供してくれるわけではない。映画と同じでズレもある。

しかし、だからといって一度、論理の面白さえわかってしまえば、勉強がイヤになることはない。習慣として持続する。だから、人の本性と折り合いがつかないことは、だいたいうまくいかないと思った方がよい。

面白さのツボ  

論理に限らず、ものごとを「面白がる力」、これこそが人の知的能力なり仕事能力のど真ん中にある。面白がれるようになってしまえば、だいたいのことはうまくいく。

 どんな分野のどんな仕事でも、優秀な人というのは「面白がる力」の持ち主だ。面白がるのは簡単ではない。人の資質なり能力の中でも、もっとも奥深くコクがあるところだ。時間をかけてでもそうした才能を開発できるかどうか?

 ここにアウトプットが出てくる人とそうでない人との本質的な分かれ目がある。

多くの人があからさまに面白がることでなくても、仕事や勉強に関して、面白がれるようになったことが、誰にも1つや2つはあるはずだ。なぜそのことを面白がれるようになったのか。その背後にある「論理」を考えてみることをお勧めする。

自分がすでに獲得している面白さの背後にある論理をたどってみれば、面白さのツボがみえてくるでしょう。

参考文献:『経営センスの理論』 楠木 建 著 新潮社    

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