理念とビジョンの徹底

 営業というのは、つらくて迷いも多い仕事です。「なんで、こんなものを売らなければならないのか」などと考えてしまったら、とてつもなく苦しくなります。

「よくもこんな達成できそうもないノルマを押しつけてくるな」と、上司や本社などを恨めしく思うこともあるでしょう。「どうして、お客様に、ここまできついことをいわれなければならないのか」と思ってしまうことだって、ないわけではありません。

 ましてや、自分自身で自信が持てないような商品を売ってしまったときには、「自分はお客様を裏切ってしまったのではないか」という感覚を抱いてしまうこともあります。常に、数字や人間関係に追われまくる感覚を抱きながら仕事をしている人もいるでしょう。 

しかしその反面、実は営業ほど「人間的な幸せ」「人間としての成長」を得られる仕事もないのです。これは営業という仕事が、人と関わるものであるのと同時に、何より、「自分自身を相手にする仕事」だからだと思います。

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キリンビールV字回復の軌跡

「キリンビール」は1888年に製造発売、それ以降右肩あがりに成長を続けました。そして1954年には全国トップシェアを獲得。その後もシェア6割を超える時代が続きました。

しかし1975年の独禁法違反問題や競合商品の台頭、キリンビールの戦略ミスなどが続き組織は弱体化、2001年にはシェア4割を切り、国内トップから陥落してしまいました。

当時の組織は、受け身の姿勢で、言われたことを自分のできる範囲内でこなすだけの集団であり、しかも、すべて他者のせいにするという風土が常態化していました。田村氏が高知支店長に就任したのは1995年、看板商品のキリンラガービールの味を変えてしまい失敗し、シェアの急降下が止まらない時代でした。

高知支店の業績は、キリンビールの全国の支店の中でも最下位ランクでした。 ビールの売上を決めるのは商品力が8割、営業力はせいぜい2割といわれていたこともあり「売上が悪いのは自分たちのせいじゃない」という意識がどこかにあったのでしょう。

田村氏は就任した1年目は、他者のせいにしないで、「決められたことをやり切る」文化を組織に根付かせることを最優先 としました。 1年間でこれだけはやろうという内容をリーダーとメンバーで話し合って決めスタートしたものの、結果は思わしくありませんでした。

2年目はやることを更に絞り込む代わりに高めの目標を設定し、月1回やったかどうかの確認をするようにしました。これは基本形としてその後も徹底してやり続けました。

具体的に何をしたか

まずは「キリンビールの今の状況を打破するためにはどうしたらいいのか」を、ひたすら聞いて回りました。田村氏が営業メンバーに1年間にヒヤリングした人数は、この頃の高知県の飲酒人口50万人の1割を超えました。

これだけたくさんの人に聞くと、お客様の心が頭ではなく体でわかってきます。どんな形でキリンビールの良さを伝えていけばいいのか、どういうことをやればお客様の心を変えていけるのかが見えてきました。

たとえば、キリンビールをたくさん置いてあるお店ではキリンがよく売れているという情報があれば、高知県内のすべての店にキリンビールを置いてもらうことが目標になります。最初の年は2700件すべての店を回り、40%だった取り扱い店数シェアを5%増やしました。

「数字の達成」から「理念の実現」に 

思いついたことは全部やりました。10やれば1つ2つは成功するので、翌週はそれを営業全員で徹底してやり切りました。

そのうちいろいろなことがわかってきて、さらに翌週はまた別のことをやる……。不可能を目標にしたことで、常にイノベーションが起きるチームに変化したのです。

結果、高知県内のシェアは一時期37%まで落ち込んだものの、2007年頃には70%を超えました。最下位ランクといわれていた高知支店が、人も予算も変えず、全国のキリンビールの中でダントツ1位を獲得できましたた。

営業である彼らは、当初は決められた目標数字を達成するのが仕事でした。しかしそうではなく、 高知の人に「キリンビールを飲んでよかった」「このビールを飲んで明日も仕事を頑張ろう」と思ってもらうことこそが、自分たちの目標なのではないか。

そう考えるようになったのです。そして「高知県民全員を幸せにする」が目標に変わりました。田村氏が支店長に就任して3年目の出来事でした。

「お客様に喜んでもらう最高のビールを作り飲んでいただき、高知県民全員が幸せになってもらう」とのスローガンが芽生えました。 たとえば県内のスーパーに行けばどこでもキリンビールが置いてある状況なると、お客様は気軽に手に取れます。

 また「高知県民全員がキリンビールを飲んで幸せになる」状態に近づけることができます。 この理想と現実とのギャップを埋めていくことが、仕事になりました。

とはいえ、ライバル企業も頑張っているわけですし、高知県民すべてを幸せにするのは不可能な話でしょう。しかし振り返ると、不可能を目標にしたことが大きなポイントでした。

高知支店の"負け癖"がついた社員の心に火をつけた方法

高知支店はなぜこれだけ県内シェアの数字を伸ばすことができたのか。 V字回復の要因は、それぞれが自分たちで考えて行動しだしたことにあります。

行動の原泉となるのは 「心の火」。 負け癖がついていた高知支店の社員の心に火がついたのは、以下の3つが関係していました。 ① メンバーに自己決定権を完全に持たせた。 ②すべての情報をオープンにした。 ③リーダーがぶれなかった。

ビールの売上をあげる方法は、お客様によって正解が違います。メンバーが自分で考えて行動せざるを得ないので、権限を譲るしかありませんでした。さらに、判断や決定に必要な情報もすべて共有しました。

また、高知県民を幸せにするという目標に変えたことでリーダーや組織がぶれなくなり、やることがどんどん変わってもメンバーはついてきてくれました。

一方で、理念というのは所詮きれいごとでもあります。現実は、お客様自身の都合を言われる毎日でした。たとえば「もっと条件を出さないとダメだ」「別のメーカーに変えるぞ」と言われることも日常茶飯事。

こういった得意先に対し、負け癖がついてしまっていた社員は自信をもって対応できませんでした。だからこそ、数分でも毎日のように相談を繰り返していました。

すると1年も経てば判断力がつき、それに伴い心の火はどんどん燃えていきました。この繰り返しで営業力が磨かれ、連戦連勝のチームが出来上がったというわけです。

大事なポイントは 「行動」

営業が高知の人に喜んでもらうことだけを考えて一生懸命やっていると、その気持ちが波動となってお客様に伝わり、関係が変わります。お客様が自分事のように応援してくれて、口コミも勝手に広がっていきました。

本当に大事なことは、すぐに言葉にできないことがほとんどです。意識にのぼるのはせいぜい1割で、9割は無意識であり認識できませんが、やり続けるうちに意識にのぼりますので、気がつき言語化できます。

それを共有し「やってみよう」となって行動します。この繰り返しで、個別の判断力が養われます。

メンバーの行動を後押しするため、マネジメントしたのは二つだけでした。一つは 「その行動が本当にお客様のためになっているか」を検証しました。

これは市場の本質がある現場をよく見ないとわからないので、田村氏もメンバーと一緒に常に現場に行って確認しました。

もう一つは、 決めたことをちゃんとやったかどうかの確認 です。ここが崩れると組織が崩れていきます。決定的に重要なのは 「自分自身で行動する精神」の確立 です。

参考文献:『キリンビールに学ぶ"勝てる営業組織"の創り方』 株式会社PHP研究所主催オンラインセミナー   

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