矛盾と対峙

 ビジネス上の多くの悩みは他人のせいではなく、自分自身が腹を決めるまで考え抜けていないことが要因となっているようです。

世の中、特にビジネスの世界に正解はありません。特に経営者が直面する問題では、正解と不正解の割合は55% 対 45%ぐらいの差しかなさそうです。

こういった状況下では、これで行こう!これで行きたい!と自分が腹を決められるまで考え抜かないと、前に進めないのが現実です。 ビジネスを成功させるためには、周りの方々からの協力が不可欠です。誰もが難しい依頼だったが、サポートしてあげたいと思った経験があると思います。

覚悟が決まっているリーダーは、依頼の仕方に熱意や想いがこもっているので、積極的にこの人の役に立とうと思えるのです。 つまり、自分の腹も決まっていないのに、人を動かすことは不可能と思われます。

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どちらにも「一理」ある問題

例えば、戦略会議などにおいて、あるマネジャーが主張します。 [こうした業績が上がらないときだからこそ、とにかく営業に集中して、徹底的にやっていくべきだ」 これに対して、別のマネジャーが反論します。

「しかし、営業不振の原因は、差別化商品の弱さにあるのだから、ここは苦しくても『急がば回れ』で商品開発にこそ力を入れていくべきだ」  また、他のマネジャーが主張します。

「この重要なプロジェクトを成功させるためには、是非とも、第一線の熟練の人材を投入して欲しい」 これに対して、やはり別のマネジャーが反論します。

[しかし、常にプロジェクトに熟練の人材を投入していたのでは、新人が育たない。熟練の人材は全社的に不足している。何とか、人を育てながらプロジェクトを進めて欲しい」と。

戦略会議などの意見の多くは、どれも「一理」があると感じられます。しかし、これらの議論に対しては、決定的な「正解」は存在しないのではないかと思われます。

「割り切り」という解決策

しかし、問題群の循環構造を人為的に切断することによって現れてくるのです。 販売収益の部分で切断して問題を捉えるならば、「販売収益」が上がらないから「開発投資」ができず、その結果「商品開発」が進まないという問題として現れてきます。

次に「商品開発」の部分で切断して問題を捉えるならば、「商品開発」が成功しないから「販売収益」が上がらず、その結果「開発投資」に予算を回せないという問題として現れてきます。

このように、企業という複雑系においては、その問題群の循環構造を全体像として捉えるのではなく、任意の部分で切断し、直線論理として理解しようとすると、矛盾のごとく見える問題が現れてくるのです。

多くの場合、我々は、こうした「複雑性」を持った問題群の循環構造を目の前にしたとき、それを直線論理によって人為的に切断し「単純化」してしまいます。

例えば、「まず、とにかく販売収益を上げよう」や「要するに、商品開発がすべてだ」といった安易に問題の「割り切り」を行ってしまいます。なぜなら、「割り切り」を行わないと、自己の精神が安定しないからです。 

「楽になる」ことを求める精神

しかし、ここで大切な問題があります。同じ「割り切り」でも、まったく違った状況があるのです。 例えば、野球において九回裏一点差ツーアウト満塁の場面などです。

監督が新人のバッターに対して、「とにかくフォークは捨てて、直球だけに絞っていけ」といったアドバイスをするときがあります。 こうした場面において、監督は、ときに「割り切り」と思えるほどの明解な現場への指示をすることがあるのです。

この監督は、現場の部下に対する指示において、たしかに一つの「割り切り」を行っているように見えますが、決して心の中では迷いがあり「楽に」なっていません。

「フォークを捨てるか、直球を捨てるか」で、監督としてぎりぎりの決断をし、その決断の結果がどちらに出ようとも、自分がすべての責任を取る覚悟を持っているのです。要するに、精神の厳しさを保持しているのです。

すなわち、この監督は、「割り切り」を行っているのではありません。 では、何を行っているのか?「腹決め」を行っているのです。

精神の厳しさを保持した「腹決め」を行っているのです。 しかし、これは、先はどのマネジャーとは、まったく違った精神です。「腹決め」と「割り切り」とは、まったく似て非なるものなのです。 なぜなら、「割り切り」を行う理由は、あくまでも自分の心が「楽になりたい」からです。

こうしたマネジャーの精神は、先はどの監督の持つ精神の厳しさとは対極にあるのです。 たしかに、我々マネジャーは、実際の現場のマネジメントや部下への指示においては、ある種の「腹決め」をするときがあります。そうでなければ、現場が動かないからです。

しかし、精神の弱さから来る「割り切り」は、決して行うべきではないのです。 なぜならば、マネジャーが精神の弱さから「割り切り」を行ったとき、それは、たとえ心の奥深くの世界であっても、必ずと言ってよいほどマネジメントの結果に影響を与えるからです。

そうしたマネジャーの精神が、部下の教育に与える影響は大きいのです。 もし、マネジャーが、その精神の弱さがゆえに「割り切り」を行うならば、そのマネジャーの下にいる部下は育ちません。

同様に、先はどの野球の例で述べたようなぎりぎりの場面で、監督が新人の打者に対して「腹決め」のアドバイスでなく、この場面で「割り切り」のアドバイスを行うならば、その新人の打者は、決して優れた打者には育たないでしょう。

精神の厳しさを保持した「腹決め」

優れた人材とは、究極、多くの「矛盾」を抱えた現実を前に、精神の強さを失うことなく、その「矛盾」と対峙し、自己の責任を賭した決断を行える人材です。

従って、マネジャーが真に優れた部下を育てたいと考えるならば、部下に伝えるべきは「矛盾を解消するための方法」ではありません。

言葉を換えれば、我々マネジャーは、部下に対して「マネジメントの本質は、矛盾との対峙である」との真実をこそ、伝えなければいけないのではないでしょうか。

参考文献:『なぜマネジメントが壁に突き当たるのか』 田坂 広志 著 東洋経済新報社  

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