■己れに克つ
最近、明治維新の原動力となった西郷隆盛の生き方、考え方が、クローズアップされています。日本人が本来持っていた「美しさ」「上質さ」を想起させます。
西郷が残した言葉、「命もいらず、名もいらず、官位も金もいらぬ人は、始末に困るもの也。此の始末に困る人ならでは、艱難を共にして、国家の大業は成し得られぬなり」。
名誉やカネなどに釣られない人間は厄介だが、そういう人間でなくては国づくりのような大業はなしえないということです。
経営でも、政治でも、学問の世界でも、成功したことが偉いのではないと思います。成功に驕らず、謙虚に、自分を律する強い克己心を持ち続けられることが、大切です。
自分を抑えるということを、頭でわかっているだけではなく、常日頃、どんなことに対しても、自分の意志をもって、己の欲望や邪念を抑える訓練をしておきたいものです。
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謙虚な心で人の意見に耳を傾ける
西郷隆盛、曰く「己を足れりとする」、つまり自分に自信があるというところから一歩退いて、謙虚さを持つことが大事です。
部下を含め、いろんな人から意見を聞き、自分の考えをまとめていきます。素晴らしい経営手腕と実績を誇っていた人が、やがて独裁者といわれるようになり、晩節を汚して追放されていったという例が幾多もあります。
小なりといえども従業員をもった企業のトップには、強いリーダーシップが必要となります。しかし上に立ち、人を指導していく者が自信を持ちすぎ、自分は才能があると過信し、傲慢になることを、戒めています。
優れた経営者は両極端を併せ持つ
「謙虚にして驕らず」という姿勢を守って、常に部下や周囲の意見を聞いて経営をしていけばそれでいいのかといえば、そう簡単ではありません。いつも部下と相談し、みんなの意見を聞き、いろんな知恵をもらって経営するのでは、問題は起きないかもしれませんが、迫力のない、力強さのない経営になってしまうかもしれません。
謙虚さと強いリーダーシップの両面が必要です。強烈なリーダーシップを持つと同時に、一方ではそれを否定するような謙虚さを兼ね備えていなければなりません。
いわば「独裁と協調」「強さと弱さ」「非情と温情」という相矛盾する両面を、トップである社長は持ち合わせていなければならないのです。
それは、言うことは簡単ですが、実行することなどはたいへん難しいことです。強すぎれば社員から反発され、謙虚すぎれば社員に侮られます。 西郷は溢れんばかりの「情」に生き、義を貫いて死ぬことを選びました。現実という荒波を乗り越えていくためには、「情」の要素に加えて、冷徹なほどの「理」の部分が必要だったのでしょう。
西郷と幼なじみで維新をともに成し遂げた、大久保はまさに、その「理」の人でした。また、「理」詰めの人であったからこそ、混乱した状況の中にあって、新政府の中心に位置し、誕生したばかりの国家の制度や体制などを構築することが可能であったのでしょう。
利他は現代の処方箋
西郷は、鹿児島の下級士族の子弟で、小さい頃は「ウドの大木」の「ウド」というあだ名がついていました。どうして西郷はそこまで成長したのか。その原点は、二度にわたる島流しの体験で辛酸をなめたことにありそうです。
30代前半に沖永良部島に流され、吹きさらしの牢に昼夜閉じ込められ、凄惨極まりない仕打ちを受けました。その島で、西郷は子どもたちに「四書五経」などの中国の古典を教えました。
あるとき、集まった子どもたちに、「一家が仲睦まじく暮らすためにはどうすればよいか?」と西郷が問いました。勉強熱心な子どもが、すかさず答えました。
「君に忠義、親に孝行、夫婦仲睦まじく、兄弟仲良くし、友達は互いに助け合えばよいと思います」 儒教にある「五倫五常」になぞらえて答えたのですから、それは立派なものです。ところが、西郷はこういいました。
「確かにそうだよ。おまえさんがいうように、五倫五常の道をもって説明するのは間違いではない。しかし、それはただの教えに過ぎない。実際にそれを行うことが、どれほど難しいことか」 そして、再び問いました。「誰もが直ちに実行できる方法がある。
それは何であるか?」子どもたちは答えられません。 それは、「欲を離れることだ。」と伝授しました。 仏教には「自利利他」という言葉があります。自分をよくしよう、自分が利益を得ようと思うのなら、他人が利益を得られるようにしなければならないとう大切な教えです。
たとえば、会社を経営し、一人でも二人でも従業員を雇用しているならば、すでにそれだけで世のため人のためという「自利利他」を含んでいるものです。しかし、さらに努めて善きことを心に思い描き、善きことを実行すれば、人生はもっといい方向に変わるでしょう。
人間はもともと、世のため人のために何かをしたいという善なる思いを持っています。家族のために働く、友人を助ける、親孝行するといった、つつましく、ささやかな個々の自利利他が、やがて社会のため、国のため、世界のためといった大きな規模の利他へと地続きになっていくのです。
欲望、怒り、愚痴の三毒を意志の力で抑える
「講学」とは、学問に努めることです。また、西郷は学問を努める目的は「敬天愛人」であります。天地自然に従い、誠の道を大切に守りながら、人々を分け隔てなく愛することです。
この自己の欲望を抑え、他を利するという考え方は、西郷の「敬天愛人」という教えの核心です。西郷のいう「道」とは、天道、つまり誠のことです。中国の古典、『中庸』の中に、「誠は天の道なり。これを誠にするは人の道なり」という言葉があります。
そして自分の身を修めるには克己をもって終始する、とも諭しています。この克己というものを私なりに表現すれば、「煩悩にまみれそうになる自分自身に打ち克つ」、あるいは「抑えつける」ということになります。
この欲望、怒り、愚痴の三つは、煩悩の中でも一番強いもので、仏教では「三毒」といわれています。放っておけば、この三毒が常に心の中に湧き上がってきます。克己とは、心の中に常に湧き起こってくる煩悩、特に三毒を自分の意志の力で抑えつけることなのです。続けて西郷は「総じて人は己れに克つを以て成り」とも言っています。
己とは、欲望、邪念が湧き起こっている自分自身のことです。それに克つ、さらに、自分の性格にまでなっていくように努力することが大切です。克己こそが人生の秘訣であると論じています。
参考文献:『人生の王道』 稲盛 和夫 著 日経BP社