善きことを思う

 京セラの創業者の稲盛和夫氏は20代で会社を設立し、数年後には社長となりました。しかし、技術的なこと以外、経営的なことは素人同然でした。どのように組織を運営すればいいのかとずいぶん悩んだそうです。 

  新たな事業を始めるのですから儲けなければならないことは誰にでもわかります。だからといって儲けることだけを会社の基準にしてしまうと従業員は付いてきてくれないのではないか? 顧客や取引き先は信用してくれないのではない? そんなことを考え続けたといいます。

つい自分の都合を優先し、自分を良く見せようとする利己の心が時として損得勘定や善意よりも優先されてしまいます。 そこで、稲盛さんは人間として正しいことを考えるだけでは十分ではないと考えもう一つの価値観に至ります。

それが「利他の心」です。「他によかれかし」と、考えることです。 善い事をするとともに他人のためになることをする。この原則を会社経営にあたる際の理念と据えました。

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6つの精進

大田嘉仁氏は京セラに人社し、創業者の稲盛和夫名誉会長の薫陶を長年にわたって直接受け、日本航空再建に携わるなど貴重な経験をしました。そして、心の持ちよう一つで、人生や仕事が大きく変わることを学ぶことができました。 特に大切だと考えているのが「6つの精進」です。

1つは「誰にも負けない努力をする」です。日々、ベストを尽くして、毎日を懸命に生きることの大切さを説いています。このことは生きとし生けるものに課せられた、白然界の掟ともいえると話しています。

2つは「謙虚にして驕らず」。ベストを尽くして努力を続ければ、ある程度の成功を収めることはできます。

3つは「反省のある毎日を送る」です。生きていれば、どうしても心の中にさまざまな雑念が湧いてきます。

それに惑わされては、誰にも負けない努力ができるはずはありません。毎日必ず一人になる時間を設けて、自分の心や行いを静かに見つめ直すことを勧めています。

4つは「生きていることに感謝する」です。懸命に努力しても、うまくいかないことのほうが多いのが人生です。だからといって、不平不満を言っても何もよくなりません。この世に生を受け、いま生きていることにまず感謝すべきだと教えています。

5つは「善行・利他行を積む」です。『易経』の教えに「積善の家には必ず余慶あり」とあるそうです。日本にも「情けは人の為ならず」という諺があり、善因善果、悪因悪果という仏の教えもあります。

素晴らしい人生を送るためには、利己を抑え、善行、利他行に励むべきである。人生の結論とも言える教えだと思います。

6つは「感性的な悩みをしない」です。人間は等しく素晴らしい存在ですが、その心は弱く、つい間違いをしてしまいます。過去のことは忘れて、これから何をすべきかと未来に集中したらいいのです。

常に善きことを思い宇宙の意志と調和

「仕事がうまくいかないのは、アイツが足を引っ張っているからに違いない」といったネガティブな思考に陥ると、心の栄養がどんどん奪われて、人生が本当にうまくいかなくなってしまいます。

稲盛さんは、否定的な言葉を発することがないように自分の語彙からそれを外していたというのです。

稲盛さんは何か物事をなすとき、「動機善なりや、私心なかりしか」と、自分の心に問うべきだとも教えています。

表面上は善行・利他行のように見えても、心の底に少しでも私心があり動機が不純であれば、うまくいきません。

やる気を引き出す社長の役割

稲盛さんの教えで忘れてはならないのが、「人生・仕事の結果=考え方×熱意×能力」という成功方程式です。 どんなに能力が優れていても、やる気がなく、マイナス思考ばかりしていれば、成功は覚束ないということを表しています。

数年前に実施された調査で、日本では熱意を持って働いている人は6%どまり、世界最低レベルであることが判明しました。経営者のなかにも、「どうすれば、社員のやる気を上げられるのか」と、悩んでいる人が多いようです。

稲盛さんが主宰していた経営者の勉強会「盛和塾」でも、「社員の熱意を高めるには、どうしたらいいですか」といった質問がよくありました。

それに対して、稲盛さんは、「それは、おまえにやる気がないからだ!社員は社長の映し鏡なのだから、おまえが、火が出るくらいの熱意を持てば、社員に伝わり、自然に高まる」と一喝しておられたようです。

経営者の大きな役割の一つが、夢やビジョンを自分の言葉で熱く語り、その実現に向かって率先して行動することなのです。それで初めて、社員も「社長についていこう」とやる気を持ってくれるようになります。

創業間もない京セラは零細企業にすぎず、間借りの社屋には、大した設備もなく、当然、社員の待遇も悪く、優秀な人材も集まりません。しかし、稲盛さんは、「自分たちが製造しているファインセラミックスでエレクトロニクス産業の発展を支えよう。

世界一のファインセラミックメーカーになろう」と事業の使命や夢を熱く語り、いつ寝ているのかわからないほど仕事に打ち込んでいたそうです。

ダメだというときが仕事の始まり

精神的なストレスは、一般的に心の健康にマイナスをもたらすと考えられています。しかし、心を鍛えるプラスの効果もあります。「銀難、汝を玉にす」という言葉もあるように、人生や仕事に降りかかるさまざまな困難は、振り返ると自分を成長させていることも多いものです。

稲盛さんも「今思えば、過去の困難があったからこそ、成長することができた」と振り返っています。困難を天が与えた試練と、前向に捉えているわけです。

創業25年を迎えるころ、立て続けに、それまで経験したことがないような問題に遭遇します。人工骨や通信といった新規事業で法律に違反していると批判を受け、稲盛さん自身も、一転して、メディアから厳しいバッシングを受けました。

あまりにも苦しく、私淑していた京都・円福寺の西片擔雪老師に相談に行きました。老師は「これで過去の一切の業が消えるのだから、お祝いをすべきことですよ。これからはさらに善いことに努めたらいいのです」と励まされたそうです。

稲盛さんは、「諸行無常」の理をよく言い聞かせてきました。 万物は常に流転し、環境も絶えず変化しています。「環境に適応できた生物が生き残る」という考え方があるように、人生や仕事にも、同じことが言えます。変化する環境に合わせて、自分の生き方やビジネスモデルを柔軟に変えていかなくてはならないのです。

経営者であれば、「環境が悪い」と嘆くよりも、「どうしたら新しい環境に適応できるのか」と考え、新たなイノベーションを 生みだそうと全力を尽くすことが大切です。

人生や仕事で「善きことをしている」という信念があれば、環境が変わり、そのために、ビジネスモデルという「手段」を変えることがあっても、目指す方向を見失うことはありません。

稲盛さんの説く「常に善きことを思う」のは真理で、世のため、人のためになる生き方や仕事は、すぐにはうまくいかなくても、いつかきっと実を結び、人生をより豊かなものにしてくれるはずです。

参考文献:『PRESIDENT 2021/6/18号』 

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