感情に流されない

 感情をコントロールすることは難しいです。感情をコントロールすることができれば、良い人間関係を築くことにつながります。反対に、自分で感情をコントロールできず、イライラや不安が周りに伝われば、他人にネガティブな影響を与えてしまうことがあります。

他人から言われたことで気分が落ち込み、自分が否定されたと解釈してしまい、人間関係が悪化してしまうこともあります。

怒り・不安などのネガティブな感情は、本能から生み出されています。ネガティブな感情を否定せず、自分本来の思いであることを受け入れた上で、ポジティブな感情へと変化させるための行動に移ることが必要となります。

感情をコントロールできる人の心はいつも穏やかです。感情をコントロールできれば、イライラする感情が現れても、自分の心をすぐに落ち着かせられます。

自分の感情を冷静に見極めることができるので、同じような感情を持った他人の気持ちを深く理解でき、良好な人間関係が築けます。

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「感情の言葉」は「色の言葉」よりも圧倒的に多い

ドイツ語には「感情を表す形容詞」が、およそ150種類ある。英語になるとさらに多く、その倍はある。 感情を表す言葉は、色を表す言葉より多彩だ。

それにもかかわらず、私たちは自分の感情をきちんと言い表すことができない。 自己分析をする自分の感情は、不正確で信頼性に欠け、当てにならない。 偶然、分析を間違うこともあるのではなく、必ず大きく間違っている。自分の心の中がはっきりつかめないからだろう。

スタンフォード大学教授エリック・シュウィッツゲベルはすべての人間に共通する自分の感情を把握することの難しさについて述べている。

しかし、世の中は常に「あなたの感じたとおりに!」「あなたの心に従って!」「あなたの心の声を聞くように!」との言葉であふれている。

だが、こうした言葉には一切従わないほうがいい。 あなたの「感情」をコンパス代わりにしてはいけない。あなたの心の中のコンパスにはたくさんの磁針がついていて、そのすべてが違う方向を指しながら、常に不安定にぐるぐる回りつづけている。

あなたはそんなコンパスを持って、航海に出ようとするだろうか? そう、だからこそ、あなたの「感情」は人生のナビゲーションとしては使わないほうがいいのだ。

あなたの「過去の出来事そのもの」に注目する

心理学には、「自己内観における錯覚」という言葉がある。自分の思考を省みるだけで、自分が実は何に向いているか、何にもっとも幸せを感じるか、また自分の人生の目標や人生の意義までもが徹底的に究明できるという間違った思い込みを表す言葉である。

自分の「感情」を分析してみても、よい人生にはつながらない。 多くの詩人が人間の心の中を「森」にたとえる。実際に自分の感情に従って深い森の中に入り込めば道に迷うのは確実で、最後にたどり着くのは、気分と感情と思考の断片が集まって混沌としている泥沼の中でしかない。

あなたが「就職の面接官」を務めた経験があるなら、面接者と30分間の会話をしただけで、採用の是非を決めなければならない難しさを感じたことだろう。研究結果によると、こうした面接は実はあまり意味がなく、面接者のそれまでの実績を詳細に検討したほうがよっぽど役に立つらしい。

考えてみれば当然だ。「30分間の表面的な会話」と、「過去の実績」のどちらにより説得力があるかはいうまでもない。このように、自分の感情を分析するのは、自分で自分の就職面接を行うようなものだ。

「感情」の代わりにあなたが分析しなければならないのは、あなたの「過去」だ。 あなたの人生にくり返し起こる出来事はなんだろう? 出来事が起きた経緯を後づけで解釈するのではなく、起きた出来事そのものに注目して分析すれば、自分を知る手がかりになるはずだ。

自分の感情なんて、まったく当てにならないものだ。どうして自分の「感情」を分析するのは、これほどやっかいなのだろう? 

理由は2つある。1つ目は、どれだけ自分の心の声に聞き耳を立てても、どんなに深く自分の内側を分析しても、その結果を遺伝子にコピーして次の世代に伝えることはできないからだ。

進化の観点からいえば、自分の感情を把握するより、他人の感情を読むほうがはるかに重要だ。人間は、「自分の感情より他人の感情を読むほうが得意」だということは、すでに事実として立証されている。

自分の感情を正確に把握したいと思えば、友人やパートナーにあなたの心の中で何が起きているかを聞いてみるといい。彼あるいは彼女は、あなたをあなた自身より客観的に分析してくれるだろう。

2つ目の理由は、あなた以外にあなたの心の決定権を持つ人がいないからだ。 心の中で自分がどんな感情を持っていると判断しようが、それに異を唱える人は誰もいない。そのときに自分が唯一の権力者でいるのはとても居心地がいいので、修正機能が働かないために的確な自己分析はできない。

そう考えると、自分の感情を深刻にとらえすぎないほうがいい。特にネガティブな感情は重く受けとめなくていいのだ。 それよりむしろ、人間は自分の感情にもっと疑いを持ち、感情から距離を置き、遊び心のある新しい関係を自分の心と築くべきではないかと思う。

「感情」は、飛んで来ては去っていく鳥のようなもの

具体的にたとえたほうがわかりやすいかもしれない。自分のことを、感情というありとあらゆる種類の鳥たちが飛んで来ては去っていく、開放していて風通しのいい屋内市場のようにとらえているのだ。

鳥たちは室内の広場を飛び回っているだけのこともあれば、しばらくそこにとどまっていくこともある。でも、結局は、どの鳥もいなくなる。お気に入りの鳥もいればあまり気に入らない鳥もいる。

この市場のイメージを頭の中でつくりあげてから、「自分の感情」が自分の一部とは感じられなくなり、まるで私に属していないかのように感じることだ。 自分の感情を、どこからともなくやって来てはまたどこかへ消えていく、まるで自分とは関係ない何かのように扱うことだ。

「ネガティブな感情」は自分の意志では取り除けない

あなたにも経験があるはずだ。「ネガティブな感情」を意志の力で取り除こうとしても、かえってその感情はエスカレートしてしまう。

だが反対に、遊び心を持って、ネガティブな感情との「リラックスした付き合い方」を見つければ、完全な心の安らぎを得られるとまではいわないものの、ある程度の落ち着きを手に入れることはできる。

ただし、中にはとても毒性が強く、遊び心を持った付き合い方だけでは処理できない感情もある。「自己憐欄」「苦悩」「嫉妬」などがその例だ。基本的には、自分の感情は信用しないほうがいい。

「周りの人の感情」は常に真剣に受けとめるべきだが、「自分の感情」とは真面目に向き合う必要はない。自分の感情は、あたりを羽ばたかせておけばいい。どっちみち、感情というものは、自由気ままに行ったり来たりをくり返すものなのだから、「感情」とは、これほど当てにならないものなのだ。

参考文献:『Think clearly』 ロルフ・ドベリ 著 サンマーク出版

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