運をつかむ

我々は、いつ何が起きるか自分で選ぶことのできない無作為的な現実世界に足を踏み入れています。幸運度や不運度は、ランダムに生起消滅する出来事とあなたがどう関わり合うかによって決定されます。

もし、いつも腹を立ててばかりいると、いくらたくさんの人と知り合っても誰も友人になりたいとは思わないだろうし、目標を達成するのを助けてはくれないでしょう。

もしパーティ-に行っても何もしゃべらなければ、素晴らしい人と知り合う可能性は限りなくゼロに近くなってしまいます。だが、行動の仕方を変えさえすれば、出会った人が善意ある友好的なら、望みを達成できる確率はたちどころに上昇し、運はいくらでも変わってきます。

順調にいくかどうかは、他人に影響を与えることができるかどうかにかかっています。 そして、ひとたび機会が与えられたら、それをうまく生かせるかどうかが重要になります。

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「自分はいつも正しい」という、とんでもない錯覚

私たちは、幸運と不運を異なった見方で見る傾向がある。運のいいことが起きた時には、自分の行動が功を奏したと考え、悪いことが起きた時には、自分の力ではコントロールできない外部要因のためと考えてしまうことだ。

もちろん、実際に自分の力では防ぎ得ない不運もないわけではないが、真実を言えば、あなたがどれほどたくさんの不運に遭遇するかは、あなたの行動や判断のすべてが大きな役割を演じているのだ。

困難が生じた時に言い訳をすればするほど、幸運を引き寄せるための行動をしなくなってしまう。自分の不運を、周囲を取り巻く状況や他人のせいにするのは、自信やプライドが傷つかずにすむからだ。だが、そのような態度は他人ばかりでなく自分をもだますことになり、いつまでもそうしていると、「自分はいつも正しい」という錯覚から抜け出せなくなるだろう。

なにごとも"結果"から逆算して判断、行動する

よりよい判断をするカギは、自分がとった行動の結果、どのようなことが起きるか考えることにほかならない。ガラスのコップを床に落とせば、多分割れて、破片があちこちに飛び散り、掃除するのが大変だ。

もし、見落とした破片が残っていたら、誰かが踏みつけてケガをするかもしれない。簡単に言えば、「行動の結果がどうなるかを考える」ということだ。結果を予想するのがうまい人は、次のように考える。

・今、直ちに反応したり、行動しなくてはいけないのかどうか?

・もう少し時間をかけて対応したら、いい結果が得られるだろうか?

・今すぐ行動するとしたら、何を言い、何をすればいいのか?

・私の言動で影響を受けるのは誰か?

・私の行動のために気分を害するのは誰か? ・もしその人たちが気分を害したら、私は困るか? それとも影響はないか?

・気分を害する人の数を最小限に抑えるための話し方や行動の工夫をすればいいか?

・もし、何人かの人を傷つけることが避けられないとしたら、その人たちの傷をあとで癒す方法はあるか?

・もう少し時間をかけて対応した方が、いい結果が得られるだろうか?

"不運に見舞われる"確率を低くする方法

入間関係における状況判断というのは、人々がどのように反応するかを予測するということでもある。そのためには、「もし自分が相手の立場だったらどう感じるだろうか」と考えることのできる能力が必要になる。それはつまり、相手のことをまず先に考えることのできる能力である。

もちろん、考えたからといって、その結果自分を犠牲にするということではない。人間の行動について学ぶいい方法は、黙って座り、人の言うことに口をはさまず、じっと観察する。お互いにどんなことを言い、どう反応し合っているかを観るとよい。

自分の言い分を言うにはそれからだ。このような繊細な感覚を養いことで、判断力が向上し、不運に遭遇することが少なくなる。

災いを転じて福となす

人間は、不運を体験し、苦難の時を通り抜けることで内面の強さが育ち、粘り強さが生まれる,そして、問題解決のための道を否が応でも切り開かざるを得なくなる。

だが、苦難をそのように見られるようになるには、まず初めに「挫折や失敗は人生の障害となるので、あってはならない」という考えを改める必要がある。人生とは、そんなふうに機能するものではない。

悪いことが起きた時の精神的な打撃と消耗が非常に大きくなってしまうからだ。もし、「人生に.不運はつきものだ。あっても不思議はない」と日頃から考えていれば、実際に困難に直面してもたじろぐことはない。

どん底に突き落とされたような気分になったり、パニックに陥ることなく、問題解決の方法に着手できる。不運の暗闇の中で解決の糸口を見つけることができるかどうかは、この心構えいかんにかかっている。

成功者と言われる人は、その中には驚異的に強運な人も何人かはいる。彼らには、いくつかの共通点がある、まず彼らは「悲惨な挫折も永遠に続くことはない」と信じることができ、次に、不運な目にあっても恥じることがない、敗北者と言われようが、他人がどう思っているかなどまったく気にしない。

そのように平気な顔をしていられる強さが人を感心させ、協力者が現れる。多くの人が"不運"と呼んでいるのは、不運な出来事そのものではなく、人から拒否されて傷ついた自分の"心"のことにすぎないと彼らは知っているのである。

参考文献:『Make Luck!』マーク・マイヤーズ著 三笠書房

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