善なる動機を・・・

さて、ともすれば人間は、自己中心的な発想に基づいた行動をしたり、つい謙虚さを忘れ、尊大な態度をとったりしてしまう。また、他人に対し、嫉妬心や恨みを抱いてしまうこともあります。

日常の判断や行動においては、自分にとって都合がよいかどうかではなく、「人間にとって普遍的に正しいことは何か」ということから判断していかなければなりません。

私たちの心には「自分だけがよければいい」と考える利己の心と、「自分を犠牲にしても他の人を助けよう」とする利他の心があります。利己の心で判断すると、自分のことしか考えていないので、他の人の支援がえられないでしょう。

また、自分中心で考えるため、視野も狭くなり、間違った判断をしてしまいがちです。 一方、利他の心で判断すると「人によかれ」という心ですから、まわりの人みんなが協力してくれるでしょう。また他の人の意見も聞く姿勢から視野も広くなるので、正しい判断ができるのです。

より良い仕事をしていくためには、自分だけのことを考えて判断するのではなく、まわりの人のことを考え、思いやりに満ちた「利他の心」に立って判断をしていきたいものです。

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なぜ「紙袋の行商」だけがうまくいったのか

京セラ創業者稲盛氏(以下は彼と)は少年時代から青年期を経て社会に出るまで、人生はやることなすことうまくいかない、挫折と失望の連続でした。2度にわたる中学受験の失敗に重ねて、結核に感染して病の床に伏す。さらに大学受験に失敗し、その後の就職もまた、思うようにはいかなかった。

しかし、そのなかでたった一つだけ、まるで空から一筋の光が差し込むように、驚くほどうまくいったことがありました。それは高校生のときに行った「紙袋の行商」だった。

実家は、戦前から印刷業を生業としてきたが、終戦前の空襲によって家も工場も全焼してしまった。父は家を失い、まるで抜け殻のようになってしまい、母が自分の着物などを売って、苦しい家計をやりくりした。

それでも高校生だった彼はのんきに構えていて、学校から帰れば友達と空き地で球に興じてばかりいた。そんな様子を見かねた母が、「いっしょに遊んでいる友達のように、うちは余裕があるわけではない、遊びほうけてばかりいて・・」 母の悲しそうな表情を見てショックを受けた彼は、家族を守ろうと奮い立ち、父に紙袋の製造販売を提案した。

以前、彼の家では印刷所を営むかたわら紙袋の製造も行っていた。父に紙袋づくりを再開してもらい、彼が外へ売りに出ようと考えた。 平日は学校が終わってから日曜日は朝から日がなー日、大小十種類くらいの紙袋を大きな竹籠に入れ、自転車の荷台に積んで町を走りまわった。 最初は町のお菓子屋さんなどを手当たりしだいに回っていた。

やがて他の菓子問屋からも注文が舞い込み、親子共どもすっかり多忙になった。 まったくの素人であった高校生が取り組んだ商売としては大成功ともいえ、稲盛氏の経営者としての原点ともなる貴重な体験となった。 この時期、他のあらゆることがうまくいかなかったにもかかわらず、なぜこの紙袋の行商だけが唯一成功したのか。

他のことがほとんどすべて、自分の欲得や保身、あるいは人からよい評価を受けたいといった「自分のため」に行ったことであるのに対して、紙袋の行商だけは、家計を助け家族を守ろうという「他者への思いやり」から始めたものだった。つまり、そこには「善なる動機」があった。

利他という土台の上にこそ、起こること

動機が「善」なるものであれば、おのずと物事はうまくいく方向へと導かれ、動機が利己的であったり、邪な思いであったなら、どれだけがんばっても事がうまく運ぶことはない。

京セラを立ち上げた当初、会社の目的として掲げたのは、もっていた技術を世に問うというものだった。 開発したファインセラミックスの技術を広く世に知らしめること。その技術を用いてよい製品を生み出すこと。それが会社のミッションであり、存在意義だった。

いわば京セラは、稲盛氏個人の技術者としての夢を実現するという動機でつくられた会社だった。 しかし、創業から3年目のある日のこと、そうした会社の存在意義をあらためて考えざるをえない出来事が起こった。

突然、前年に採用したばかりの高卒社員が10名ばかり私の机の前に並び、「要求書」なるものを突きつけた。 そこには、昇給やボーナスの額など待遇の改善、将来にわたっての保障などの要求がしたためられていた。「これらを認めてもらえなければ、全員会社を辞めます」と、彼らは言った。

できて間もない会社に、彼らの言い分をすべて受け入れる余裕などとうていない。稲盛氏は当時住んでいた三間ばかりの市営住宅に彼らを連れて帰り、必死の説得を続けた。三日三晩、膝を詰めて話し合った末、やっとのことで全員に納得してもらうことができた。

この経験から、考え抜いた結果、会社とは自分の思いを実現するためのものではない。何より社員の生活を守り、幸福な人生をもたらすために存在していなければならない。それこそが会社の使命であり、経営の意義なのだ。

そう肚を決めると、胸のつかえがとれて、霧が晴れたように明るい気持ちになった。そして心機一転、会社のミッションを「全従業員の物心両面の幸福を追求する」と定めた。

まず身近な人のためにできるかぎりのことを

この一連の出来事を機に、稲盛氏は創業当初から抱いていた個人的な思いをきっぱりと捨て、京セラはその存在意義を「利己」から「利他」へと変えた。もし、稲盛氏が、従来の自らの技術を世に問うためにこの会社は存在しているという理念を貫き通していたら、京セラが今日のように大きく発展することはなかった。

その後の京セラの急成長は、「全従業員の幸福のため」という、強固な利他の土台の上に築かれた。

会社は何よりもまずそこで働く従業員のためにある。そして経営の目的とは、全従業員の幸せを実現することにある。それは経営におけるもっとも根本的な利他の精神であり、そうした思いをもって経営をするとき、従業員もまたその思いに共鳴し、賛同し、惜しみない協力をしてくれる。

「利他の心」といっても、いきなり国家のため、社会のためといった壮大で高尚すぎる理念を掲げると、働く従業員からは縁遠い「他人ごと」になってしまう。それでは、彼らが意欲を燃やし、懸命に努力を重ねようという気になってくれない。

そもそも、「利他」という言葉の意味は実にシンプルだ。「他を利する」すなわち「自分のため」は後まわしにして「他人のため」を優先する。隣人のために何ができるかを考え、自分がなしうるかぎりのやさしい行為をする。たったそれだけのことで、けっして大仰なことではない。

利他の思いから行動すれば

利他の心をもち、よき行いをすることは、おのずと運命を好転させることにつながる。宇宙にはそのような「因果の法則」が、厳然と存在している。 宇宙には利他の風が吹いている。大きな帆を掲げてその風をふんだんに受ければ、よき運命の流れに乗ることができ、人生がよりよい方向へと導かれる。

このとき、風を受ける帆となるものが「利他の心」です。やさしい思いやりの心をもって物事に取り組むとき、人は利他の風を存分に受けて、幸福と成功に向けて力強く航行することができる。

経営の世界で「利他の心が大切だ」などというと、厳しい経済社会の中にあって、「利他」や「思いやりの心」などで経営ができるものか・・そんな批判や反発の声が、かならず聞こえてくる。

しかし、熾烈な闘いがくり広げられるビジネスの世界だからこそ、「相手を思う心」すなわち利他の心が大切だ。利他の思いからだした答は、いずれよき出来事となって、わが身に返ってくる。

程度の差はあれ、私たちは本能的な欲望や利己心をもたざるをえないようにつくられている。私たち凡人にできる、自我すなわち「利己の心」をできるかぎり小さくし、真我―「利他の心」が占める割合を大きくていくことが重要だ。これこそが心を磨くことであり、人格を高めることでもある。

参考文献:『 心 』 稲盛 和夫著 / サンマ-ク出版

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