解釈力を身に・・・

 日々、全力で仕事にまい進し、大きな壁にあたったとき、押しつぶされなることなく、それを成長の糧と意識していると、課題の解決が浮かぶことがあります。運がいい人や自分らしく生きている人によく起こる現象です。

特有の視点が『偶然の一致』と近いところにあるということを教えてくれているのです。そのことをシンクロニシティと言われています。 シンクロニシティに気づけるのは、あなたが自分のするべき事に対してポジティブに向き合い行動できている時です

自分の心の在り方を変えるだけで、シンクロ二シティに気づき始めることができるでしょう。 人生はときおり、自分の希望や願望とは違う方向に展開することがあります。そのとき何と不運な、何と不幸だと思い、落胆したり、失望したりするものです。

しかし、こころを立て直し、与えられた状況と正対し、すべては導かれているという覚悟を定めるならば、その瞬間から、何かが変わり始めます。

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「成功者」の不思議な偶然

人生において優れた仕事を成し遂げ、世の中から「成功者」と呼ばれる政治家や経営者、学者や芸術家について、興味深い調査結果が報告されている。 その調査とは、「人生の成功者」が書いた自叙伝や回想録を精査すると、最も良く使われ、多く出てくる言葉を調べたものである。その結果は、全く意外なものであった。

当初、最も良く使われているであろうと予想された言葉は、「努力」や「信念」といった言葉であったが、この調査の結果、最も多く使われていた言葉は,そうした言葉ではなかった。

驚くべきことに、最も良く使われていた言葉は、

「たまたま」

「丁度そのとき」

「ふとしたことから」

など、「偶然の出来事」によって人生が導かれたことを語る言葉が、最も多く使われていたのである。

この調査結果を聞くと、多くの読者は、「人生の成功者は、やはり、運が強い」という思いが浮かぶのではないか。 しかし、一歩ふみ込んで考えるならば、その「運の強さ」と呼ばれるものの奥に、「成功者」が共通に持つ、もう一つの資質があることに気がつく。

「人生の出来事に、深い意味を感じ取る力」 すなわち、「たまたま」「丁度そのとき」「ふとしたことから」と形容すべき「偶然」と見える出来事の中に「大切な意味」。さらに言えば、「自分を導く声」を感じ取る力。 それが、優れた仕事を成し遂げ、「人生の成功者」と呼ばれる人々が、共通にもつ資質であろう。

では、我々は、どうすれば、そうした力を身につけることができるのか。 そのことを考えるとき、一つの示唆を与えてくれるのが、分析心理学の創始者、カール・グスタフ.ユングが語った「シンクロニシティ」という現象であろう。

「共時性」や「不思議な偶然の一致」と訳されるこの現象は、例えば、「誰かのことを考えていると、丁度そのとき、その人物から電話がかかってきた」「ある問題について悩んでいると、たまたま喫茶店で隣に座っていた客同士が、その問題に関する話をしていた」「進路について迷っていたら、ふとしたことで手にした本に、その進路に関する示唆的なメッセージが書かれてあった」など、誰もが経験したことのある体験であろう。

しかし、この「シンクロニシティ」と呼ばれる現象は、多かれ少なかれ誰もが経験しながらも、科学的には、そうした現象が起こる原因は解明されていない。多くの場合、その現象の存在そのものも、「単なる偶然」や「単なる思い過ごし」と解釈されている。

もとより、こうした現象を過度に評価し、安易な「神秘主義」に陥ることは避けるべきである。多くの「成功者」が、この「シンクロニシティ」という言葉を使うか否かに関わらず、人生における「不思議な偶然」を感じ取っていたはずだ。それを「何かを教えてくれているような気がした」や「天の声ではないかと感じた」という形で、その後の行動や進路の選択に生かしていったことは確かであろう。

されば、我々が学ぶべきは、「シンクロニシティという現象が存在するのか否か」という答えの無い議論ではない。「成功者」と呼ばれる人々の多くが身につけている「人生において与えられた出会いや出来事の意味を、一度、深く考えてみる」という姿勢であろう。

そして、ひとたび我々が、その姿勢を身につけるならば、人生における、ささやかな出会いや出来事の中にも、不思議なほど、大切な意味があることを感じ始めるだろう。そのとき、我々は、「精神の成熟」への道を歩み始めている。

起こること、すべて良きこと

ある男性が、海外出張の折、自動車を運転中、一瞬の不注意から、瀕死の重傷を負う事故に遭った。 そして、運び込まれた現地の病院での大手術を受け、その男性は、九死に一生を得た。残念ながら、左足を切断する結果になってしまったが。

意識が回復し、左足を失ったことを知った。男性は、一瞬のミスによって迎えた人生の明暗に、ひとり、病院のベッドの上で嘆き悲しんでいた。 しかし、そこに日本から駆けつけてきた、男性の妻は、病室に入るなり、夫を抱きしめ、何と言ったか。

「あなた、良かったわね!命は助かった!右足は残ったじゃない!」このエピソードは、我々に、大切なことを教えてくれる。 何が起こったか。それが、我々の人生を分けるのではない。 起こったことを、どう解釈するか。 それが、我々の人生を分ける。

そのことを教えてくれる。 いま、書店に並ぶ本や雑誌を見れば、「成功」という文字や、「勝利」という文字が躍っている。「いかにして成功するか」や「いかにして勝者になるか」というメッセージが溢れている。

しかし、人生の真実を、ありのままに見つめるならば、「成功」の陰には、必ず「失敗」がある。「勝利」の陰には、必ず「敗北」がある。 されば、我々の人生において、失敗や敗北、挫折や喪失、そして、病気や事故は、決して避けることはできない。

では、人間の「真の強さ」とは何か。 それは、決して「必ず成功する力」や「必ず勝利する力」のことではない。 それは冒頭のエピソードの、妻の姿にある。 すなわち、人生において、いかなる出来事が与えられようとも、その「解釈」を取り違えない。その意味を肯定的に解釈する。

真の強さとは、その「解釈力」と呼ぶべき力であろう。では、いかにすれば、我々は、その「解釈力」を身につけることができるのか。 覚悟を決めることである。人生で起こること、すべてに深い意味がある。

その覚悟を定め、その意味を考えるという営みを続けるとき、我々は、人生で与えられた否定的に見える出来事の中にも、肯定的な意味を見出す力を身につけていく。「解釈力」という真の強さを身につけていく。 では、どうすれば、我々は、その「解釈力」を、ゆるぎなきものにするためには、一つの信を定めることである。

自分の人生は、大いなる何かに、導かれている。 この否定的に見える出来事も、大いなる何かが、自分を育てようとして与えたものに他ならない。 その信を定め、「この出来事は、自分に、何を学べと教えているのか」「この出来事は、自分に、いかなる成長を求めているのか」を考えることである。

もとより、そうした「大いなる何か」が存在するか否かは、科学では証明できない、永遠の問い。しかし、歴史を振り返るならば、優れた仕事を成し遂げてきた人物は、誰もが、たとえ言葉にせずとも、心中深く、そのことを信じていた。 されば、その信を定め、永い年月を歩んだとき、何がやってくるか。いつか、我々の心には、一つの思いが浮かんでくる。

その出来事がいま起こった「意味」に耳を澄ませ、「人生で起こること、すべて良きこと」との思いを定めて歩むとき、逆境に正対する力が湧き、道は必ず拓ける。そして、逆境から多くのことを学ぶことができる。その体験を振り返ると、人生で起こること すべて良きことと解釈することが幸運をもたらす。

参考文献:『深く考える力』 田坂 広志 著/PHP新書

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