経験をリセット

 変化が激しい、先が見えない時代(VUCA)と言われています。 テクノロジーが進化するスピードが猛烈に上がっていることでしょう。 VUCA時代には、これまでの仕事の形式を刷新しつつも、新しい4つのやり方が求められています。

① 最小限の投資で最大の成果を出すための、「生産性」アップのスキルが必要。

② 今は上司も含め、誰も答えを持っていません。いい解答を導くための「問題解決」のスキルを身につける。

➂メンバーの多様性が増し、さまざまな価値観が職場にあふれる現在、自分のやったことをそのまま部下に教える指導スタイルは、もはや通用しません。そのようなメンバーをまとめる「リーダーシップ」のスキルが重要。

➃現代では、どんな組織、どんな環境でも働き続けられる「持続可能性」が必要。

 そこで、長く働ける自分をつくるための「自己投資」のスキルが求められるようになるでしょう。

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「他者」を自分を変えるきっかけに

情報が溢れ、容易に手に入る時代になり、「容易にわかる」ことで新しい発見を失い.世界がどんどん曖昧で複雑で予測不可能になっています。私たちの「わかる」という感覚もまた揺さぶられるっています。

私たちは過去の経験に基づいて形成されたパターン認識能力によって目の前の現実を整理します。ますますVUCA化(Volatility(変動性)、Uncertainty(不確実性)、Complexity(複雑性)、Ambiguity(曖昧性)の頭文字をとって作られた単語、現代のカオス化した経済環境)していく社会において、短兵急にモノゴトを単純化して理解しようとします。

しかし、すでに変化してしまった現実に対して、過去に形成されたパターンを当てはめて、本来は「わからない」はずの問題を、さも「わかった」ように感じてしまいます。しかし。現実に対して的外れな対応をしてしまう可能性があります。

20世紀に活躍したハンガリー出身の物理学者・社会学者であるマイケル・ポランニーは「我々は、自分が語れること以上にずっと多くのことを知っている」と言い表しています。 今日では、この「語れること以上の知識」を私たちは「暗黙知」という概念で日常的に用いていますが、言葉によるコミュニケーションでは常に、この「こぼれ落ち」が発生していることを忘れてはなりません。

例えば、「要するに」は、パターンに当てはめるだけの最も浅く理解され、話を元に戻せば、この「要するに○○ってことでしょ」という聞き方には当の聞き手にとっても問題があります。

なぜなら、過去に形成されたパターンに当てはめて短兵急に理解したつもりになってしまいます。新たなものの見方を獲得したり、世界観を拡大したりする機会を制限してしまうことになるからです。

より深いコミュニケーションによって、相手との対話から深い気づきや創造的な発見.生成を起こすには、「要するに○○だ」とパターン認識し、自分の知っている過去のデータと照合することは戒めないといけません。

そのような聞き方ばかりしていては、「自分が変わる」契機は得ることはできません。 容易に「わかる」ことは、過去の知覚の枠組みを累積的に補強するだけの効果しかありません。

変化の激しい今日のような時代にあっては、このような行動様式は学習を阻害するものであり、まさにオールドタイプのパラダイムと断じるしかありません。 本当に自分が変わり、成長するためには、安易に「わかった」と思わず、相手の言っていることに傾聴し、共感することが必要です。

「わからなさ」の重要性―他者は気づきの契機

自分を変えるきっかけになるのは「わからない」という状況です。この「わからなさ」の重要性を「他者」という概念を軸足にして、生涯にわたって考察し続けたのが、20世紀に活躍した哲学者のエマニュエル・レヴィナスでした。

レヴィナスにとっての「他者」とは、文字通りの「自分以外の人」という意味ではなく「わからない者、理解できない者」という意味です。なぜ、そのような「他者」が重要なのでしょうか。レヴイナスの答えは非常にシンプルです。それは、「他者とは『気づき』の契機である」というものです。

自分の視点から世界を理解しても、それは「他者」による世界の理解とは異なっています。このとき、他者の見方を「お前は間違っている」と否定することもできます。実際に人類の悲劇の多くは、そのような「自分は正しく、自分の言説を理解しない他者は間違っている」という断定のゆえに引き起こされました。

自分と世界の見方を異にする「他者」を、学びや気づきの契機にすることで、今までの自分とは異なった世界の見方を獲得できる可能性があったはずです。

カギは速習ではなく古い学びのリセット

経験の価値があっという問に減殺されるという時代において、経験に置換される重要な人材要件となるのがラーニングアジリティ(学習機敏性)です。 最近では組織開発や人材育成の場においてラーニングアジリティが重要な論点として取り上げられることが増えてきたように思います。しかし、議論を横で聞いていると概念が混乱して用いられているケースがままあるようです。

ラーニングアジリティはもちろん「学習」に関する概念ですが、単に「学習が速い」という要件以上のものを含んでいます。それは何かというと「リセットできる」ということです。

経験がその人のパフォーマンスを高めるのは、学習によってパターン認識の能力が高まるからです。ラーニングアジリティというのは、単に「速く学習する」ということではなく、すでに学習して身につけたパターンを一旦リセットできる、ということです。

ここが非常にトリッキーなところで「ラーニング学習」と聞けば、私たちはすぐに「何かを覚える」ことだと考えてしまいがちですが、ラーニングアジリティには「何かを忘れる」という要件も大きく含まれています。

新しい何かを学習するためには、その対象と何らかの食い違いやコンフリクトを起こす古い何かを捨てなければなりません。しかし、人間にはこれがなかなかできないのです。なぜかというと学習にはストレスという投資が伴うからです。

学習のプロセスは「具体的経験」から始まります。失敗でも成功でも、何らかの具体的エピソードがあって初めて学習のプロセスが起動されることになります。自転車に転ばずに乗れるようになった人はいませんし、転ばずにスキーをマスターした人もいません。

つまり、学習の多くは「失敗」という体験に基づいています。多くの人は、失敗=ストレスという代償を支払った末にパターン認識という能力を獲得しているのです。 そのため、リセットを実践しようとすると、その難しさが2点潜んでいます。

1つ目が、少なくない代償を支払って獲得したパターン認識を手放したくないという心理圧力、いわゆる「埋没コストのバイアス」がかります。 埋没コストというのは、すでに支払ってしまい、この後どのように意思決定しても取り返せないコストのことです。

どうやっても取り返せないのですから、この後最も利得の大きい判断をすればいいだけなのですが、多くの人はそのように判断できず、代償を支払ったものを維持し続けようとしてしまいます。

2つ目が、同じストレスを味わいたくない、という回避衝動が働くという点です。失敗を繰り返してパターン認識を獲得した人に対して「そのパターンはもう役に立たないよ」と伝えてもなかなか書き換えができません。なぜなら、同じ失敗をしてしまうのではないかという恐れがあるからです。

たとえば、命に関わるような危険で悲惨な出来事を体験したり目撃したりしたのちに、フラッシュバックや悪夢にうなされる症状を指すPTSD(心的外傷後ストレス障害)という疾病があります。これは一種の学習障害と考えることができます。 PTSDは、そのような「書き換え」の難しさを示す疾病と言えます。

予測不能な時代にあって、過去の経験と知識に基づいて目の前の世界を理解しようとするオールドタイプは急速に価値を減殺させます。 一方で、目の前の状況を虚心坦懐に観察し、ラーニングアジリティを発揮して、過去に蓄積した経験と知識をアップデートし続けるニュータイプが大きな価値を創出することになるでしょう。

参考文献:『ニュータイプの時代』 山口 周 著/ダイヤモンド社

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