■気づき
近年、インターネットが普及し、スマートフォンなどで手軽に、いつでも知りたい事柄が手に入ります。学習できる環境は整っています。しかし、大事なのは「教える」ではなく「気づかせる」ということでしょう。プロセスを教えても、説明しても、怒鳴っても、部下が変わらなかったのは、そこに「気づき」が生じていなかったからです。
「気づき」というのは発見であり、「見ている世界が変わる」ことです。「相手に問題があると思っていたけど、そうじゃないのかもしれない」など思い込んでいた解釈や常識、世界の見え方がまったく違って見えることです。
「気づき」が起きると、人は自然と変わり出します。他人に言われた言葉ではなく、自分の内側から確信した答えなので、そのエネルギーは他人に言われた指示やアドバイスの比ではなく、自分を突き動かす力になっていきます。
有効な気づきが生れると自主性が増し、発想力や思考力が高まります。 自分は、本当はどうしていきたいのかと考えられるようになっていくこでしょう。
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教育熱心なマネジャー
職場で、「教育熱心」なマネジャーは部下に対して様々な業務研修や各種の教育セミナーを受けるよう奨励します。 業務に関する技術や知識についても、懇切丁寧に教えます。
従って、こうしたマネジャーは、知識偏重教育で育てられ、マニュアル志向の強い若手社員からも好評であり、人事研修部などから見れば表彰したいほどのマネジャーですが、実は問題があります。
こうした「教育熱心」なマネジャーの下では、必ずしも優れた人材が育つとはかぎらないのです。 このようなマネジャーは、人材というものが「教える」ということによって「育てる」ことができると思い込んでいるからです。
これからの時代においては、こうした「教える」という発想では、望ましい人材は育ちません。なぜならば、近年は社会や市場や企業において、予測できない変化が生まれ、不連続な進化が起こり、過去との断絶をしなければならないようになっていくからです。
こうした時代には、過去の成功をもたらした技術や知識を新しい世代に伝えるだけでは、新しい環境に適応していく能力を持った人材は育ちにくいのです。
成長の方法
「成長の方法」を伝えることですが重要です。人間の成長には方法というものがある。実は、それは、いかなるマニュアルでも、テクニックでもない、「こころの姿勢」も呼ぶべきものです。
プロ野球元監督の広岡達郎氏も述べていました。 広岡氏は、ある選手のファインプレーを見て、「あのファインプレーは、駄目だ」と厳しく批判する一方で、ある選手のエラーを見て「あのエラーは、良い」と誉めています。
これもまた、成功にも「悪い成功」があり、失敗にも「良い失敗」があるということを言わんとしています。
ここで言う「悪い成功」や「良い失敗」とは、いずれも基本の姿勢や「こころの姿勢」のことを述べているのです。
このように、もし成長というものに方法があるとするならば、それは、何よりも「こころの姿勢」とでも呼ぶべきもので。「こころの姿勢」であるかぎり、どれほど失敗を積み重ねようとも、必ず成長していけることでしょう。
成長の目標
部下の成長を支えるために、成長の目標を持たせることです。 「成長の目標を持たせよ」ということは「位取りを決めさせよ」ということです。 人材は「どこまでも成長していく人材」と「小成に安んじてしまう人材」とに分かれてしまいます。一人のプロフェッショナルとして、どこまでの高みを目指すのかという目標の違いとも言えるでしょう。 つまり、最初に抱いた「成長の目標」の違いが、部下にとって、必ず大きな結果の違いとなって現れてしまうのです。
パリで画家が育つ理由
パリには、本物の絵がたくさんあるのです。ある「高み」にまで達したものを身近に触れ、毎日のように鑑賞します。 そして、知らず知らずに、その「高み」を自分自身の目標に重ねあわせていく。 それが、「成長の目標」という言葉の最も深い意味に他なりません。
新入社員教育の過ち
新入社員が着任し、数年先輩の社員の中から教育担当者を決めます。そこで、選ばれた若い教育担当者は、その新入社員に対して、マンツーマンで、部内のルールや書類の処理の仕方など、仕事の基本等導入教育を行います。
こうした方式は、同じ世代の教育担当者が教えるため、新入社員の立場に立って教えてくれるというメリットがあります。さらに、その教育担当者にとっても勉強になるという副次的効果もあります。
しかし、こうした方式には一つの落し穴があることを忘れてはなりません。 それは、マネジャーが無意識に、新入社員なのだから、まず、この程度の教育をしておけばよいといった発想が忍び込んでくることです。
新入社員だからこそ、最も高みにあるものを見せなければならないのです。 もちろん、それが新入社員の力量で理解できるとは限りません。 しかし、ビジネスマンとしてスタートし、瑞々しい時期にこそ、最も高みにある頂きを見上げるということをさせてあげるべきなのです。
そうした意味で、新入社員の教育は、本来ならば、その組織で最も力量のある人間が行うことが望ましいのです。それは、ときに経営トップ自らの教育であってもよいでしょう。
登山を目指す初心者には、もちろん、靴の履き方から、ザックの背負い方、地図の見方という基本的なことを教えなければなりません。 しかし同時に、いつの日か登るであろうアルプスの名山や、いつか登ってみたいと願うヒマラヤの最高峰を仰ぎ見せなければならないのです。
そして、その新入社員が、アルプスの名山やヒマラヤの最高峰から、こころの奥深さを刻むならば、彼にとっての「成長の目標」は定まります。 これは、彼がビジネスマンとして、生涯かけて登っていくべき道を知るときに他なりません。
これこそが、一人のビジネスマンの先輩であるマネジャーが、これからの長き道を歩み始めた一人の後輩に伝えてあげられる、おそらく最高の何かなのです。
悪戦苦闘する姿が伝わる
マネジャーは、部下が育たないと嘆く前に、自分が成長しているかをこそ問わなければなりません。 マネジャーが成長し続けているならば、そこには必ず、メンバーを成長させる空気が生まれてきます。その空気こそが「成長の場」が生まれるための、最も大切な条件なのです。
しかし、そのためには、マネジャーは、自らの「成長の目標」を誰よりも明確に抱いていなければなりません。 目標を「夢」として部下に語らなければなりません。
マネジャーに求められるものは、一人のビジネスマンとして自分が「何を学ぼうとしているか」です。 部下は、その姿をこそ、見ているのです。
だから、マネジャーは、何かを学ぼうと悪戦苦闘する自分自身の姿を通じて、「こころの姿勢」の大切さを、部下に伝えなければならないのです。 もとより、我々マネジャーもまた、未熟な一人の人間です。
その未熟な人が、部下に対して「こころの姿勢」を教えられるかとの迷いはあります。 しかし、「こころの姿勢」とは、「終わりなき道」です。
いかに優れたマネジャーといえども、それを身につけたとの資格において、それを部下に語るべきものではありません。 そうではありません。それを身につけたいとの祈りを込めて、それを部下に語るべきものなのでしょう。
そして、もし、マネジャーが、自分の未熟さを知ったうえで、その未熟な自分をいつの日か部下が超えてくれることを祈りつつ、それを部下に語るならば、その祈りは、必ず伝わるのではないでしょうか。
参考文献:『なぜマネジメントが壁に突き当たるのか』 田坂 広志 著/東洋経済新潮社