美意識を鍛える

最近、インターネットの普及とソーシャル・メディアの登場から,消費者が求める価値観がシフトしています。その価値観は、市場の導入期から成熟期への過程で、機能的、情緒的、自己実現的と推移しています。

例えば、以前、パソコンでは記憶容量はどれくらいか、計算能力はどうかといった「機能」が、商品を選択する際の重要な基準でした。  こういった機能の差異が大きくなくなってくると、デザインやブランドといった感性に訴える要素が、選択の大きな基準になってきます。

つまり「デザインが自分の部屋のインテリアに合う」とか「素材の質感が好き」といった理由が、購入の動機になるということです。

このような状況では、機能的な向上だけを目指して企業努力を続けていた会社の多くは、「デザイン」という要素に着目した企業に遅れをとり、場合によっては市場から退場していくことになります。

時代の変化が速く、先が読みづらい社会において、サイエンス重視の意志決定は経営の舵取りをするのに難しくなってきています。

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「論理」と「理性」では勝てない時代に

経営における意思決定にはいくつかの対照的なアプローチがあります。 まず「論理と直感」という対比軸については、「論理」が、文字通り論理的に物事を積み上げて考え、結論に至るという思考の仕方である一方で、「直感」は、最初から論理を飛躍して結論に至るという思考として対比されます。

次に「理性と感性」については、「理性」が「正しさ」や「合理性」を軸足に意思決定するのに対して、「感性」は「美しさ」や「楽しさ」が意思決定の基準となります。

ここ20年ほど、日本企業の大きな意思決定のほとんどは、巧拙はともかくとして「論理・理性」を重視して行われてきています。「直感」や「感性」を意思決定の方法として用いている会社なんてあるのか?と思われるかもしれません。

しかし、実はそういった例は少なくありません。「感性」、つまり「美しいか、楽しいか」という「感情に訴えかける要素」を意思決定の基準として設定している企業の一つに、ソニーがあります。

ソニーの「社会設立の目的」の第一条には真面目なる技術者の技能を、最高度に発揮せしむべき、自由闊達にして愉快なる理想工場の建設」とあります。

「面白くて愉快なことをどんどんやっていく」ということです。「何をやるべきか、やるべきでないか」という意思決定の際に準拠すべき基準は「面白いか、愉快なのか」という軸、つまり「理性よりも感性」ということになります。この設立趣意書をしたためたのは創業経営者の井深大氏でした。

そして、ソニーの傑作商品であるウォークマンは、まさにこの井深氏による「感性」によって世に出された商品でした。 ウォークマンという製品はもともと、当時名誉会長だった井深氏が「海外出張の際、機内で音楽を聴くための小型.高品質のカセットプレイヤーが欲しい」との要望に応えて、一品限りの「特注品」を開発しました。

同じく、この特注品を共同創業者の盛田氏に見せたところ、彼もこれを大いに気に入り、製品化にゴーサインが出ました。 当時のソニーはすでに世界的に名の知られた大企業でしたが、これまで存在しなかった「ポータブル音楽プレイヤー」という製品の開発が「ねえ、これ見てよ」「おお、いいですね」で決まってしまったわけです。

膨大な市場調査とマーケティング戦略を記した分厚い商品開発戦略提案を、何十人もの役員で審議しても、ヒット商品を生み出せない昨今の日本企業とは大違いです。

しかし、現場はこの指示に反発します。というのも、彼らは、それまでの市場調査から、大多数の人がラジオ番組を録音して楽しむためにカセットプレイヤーを購入していることを知っていたため、「スピーカーも録音機能も持たないカセットプレイヤーなど売れるわけがない」と、「論理的」かつ「理性的」に猛反発しました。

ソニーのウォークマンの開発はビジネスの意思決定における「理性と感性」という対比のうち、「感性」に基づく意思決定の一つの事例としては典型的なものです。 また、アップルの創業者スティーブ・ジョブズは、次のような言葉を残しています。「インドの田舎にいる人々は僕らのように知力で生きているのではなく、直感で生きている。そして彼らの直感は、世界一というほどに発達している。

直感はとってもパワフルなんだ。知力よりもパワフルだと思う。」と。この認識は、仕事に大きな影響を与えてきました。 実際にスティーブ・ジョブズの意思決定が、多くの場合、一瞬の直感に導かれて行われていたことは確かなようです。

例えば、彼がアップルに復帰した直後に販売したiMacでは、発売直後に5色のカラーを追加しています。この意思決定の際に、製造コストや在庫のシミュレーションを行うことなく、デザイナーからの提案を受けた「その場」で即断しています。

製造や物流にある程度関わった経験のある方であればおわかりだと思いますが、もともと1色しかなかった製品に5色を追加するというのは、ロジスティクス全体の管理の難易度を飛躍的に高めるため、慎重な分析とシミュレーションを経て行われるのが常識です。

しかし、ジョブズはそのような「論理的」で「理性的」なアプローチを踏むことなく、「直感的」で「感性的」な意思決定を行い、実際にiMacは、アップル復活を象徴する大ヒットとなりました。

残念ながら、日本人の多くは、ビジネスにおける知的生産や意思決定において、「論理的」であり「理性的」であることを、「直感的」であり「感性的」であることよりも高く評価する傾向があります。

この「論理的で理性的であることを高く評価する傾向」は、決してそれが「巧みである」ことを意味せず、権力者が作り出す空気に流されてなんとなく意思決定してしまう傾向が強いことへの反動で、一種の強がりなのです。

日本人の通念としては「論理と直感」においては「論理」が、「理性と感性」においては「理性」がそれぞれ優位だと考えられがちです。

「直感」はいいが「非論理的」はダメ

「直感」が大事だからといって、「非論理的」であってよい、ということではありません。いま、目の前に複数の選択肢があるというときに、どう考えても論理的に不利だという選択肢を、わざわざ「直感」や「感性」を駆動させて選ぶというのは、「大胆」でも「豪快」でもなく、単なる「浅薄」です。

結果的に大きな業績の向上につながった「優れた意思決定」の多くが、直感や感性によって主導されていたという事実があります。決して「論理や理性をないがしろにしていい」ということではなく、「論理や理性を最大限に用いても、はっきりしない問題については、意思決定のモードを使い分ける必要がある」ということです。

江戸時代の武芸家である松浦静山は「勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし」という言葉を残しています。もとは松浦静山が、自分の剣術書『剣談』に記した言葉ですが、プロ野球の野村克也監督が好んで用いました。静山という人は、もちろん武芸家として大成した人物ですが、大名としても政治手腕を振るい、財政難に陥っていた藩をV字回復させたりしています。

つまり、いろんな分野にわたって「成功」も「失敗」も経験している人物で、そのような人物がこういう言葉を残しているわけです。 「勝ちに不思議の勝ちあり」については、「不思議」というのは、論理で説明ができないからです。

一方で「負けに不思議の負けなし」は、「負けはいつも論理で説明できる」ということです。負けは常に、負けにつながる論理的な要因があります。、論理的なエラーは常に、負けに直結する要因があります。

つまり、「非論理的」なのではなく「超論理的」だということです。一方で、過去の失敗事例を紐解いてみると、その多くは論理的に説明できることが多く、「論理を踏み外した先に、いくら直感や感性を駆動しても、勝利はない」ということです。

経営は「アート」と「サイエンス」のバランスですが、これを「論理」と「感性」のバランスと言い換えた場合、短兵急に両者のどちらが優れているのかという論点を設定してしまいがちです。

経営の意思決定においては「論理」も「直感」も、高い次元で活用すべきモードであり、両者のうちの一方が、片方に対して劣後するという考え方は危険だという認識の上で、現在の企業運営は、その軸足が「論理」に偏りすぎているのではないでしょうか。

参考文献:『世界のエリートはなぜ美意識を鍛えるのか?』 山口 周 著/光文社新書

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