■心がけと努力次第・・
日本の著名な経営者の一人に京セラを創業した稲盛氏がおられます。 稲盛氏が京セラの起業当時、多難な課題を克服し、解決していく過程である信念を持ちました。それは、災難や苦難に遭ったら、嘆かず、腐らず、恨まず、愚痴をこぼさず、ひたすら前向きに明るく努力を続けていきます。
将来、よいことが起きるためにこの苦難を与えられたと耐え、よいことが起きれば、驕らず、偉ぶらず、謙虚さを失わず、自分にはもったいないことだと感謝を惜しまないことです。
この信念から人生・仕事の結果は、考え方×熱意×能力という一つの方程式で表すことができると考えました。「能力」とは、知能や運動神経、あるいは健康などです。「能力」に「熱意」という要素を掛け、これに「考え方」を掛けます。
掛け算ですから、ネガティブな考え方を持っていれば、「能力」があるほど、また「熱意」が強ければ、大きなマイナスになってしまいます。 ポジティブの「考え方」を持って行動すれば、高い成果となります。 「考え方」が重要なキーとなります。
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命の連鎖で維持されている自然界
自然界には、微生物から動植物まで、たくさんの生物が存在しています。 地中にはいろいろなバクテリアや細菌がいて植物の根の成長を助け、それによって地上に草が繁茂します。そこに草を食べる昆虫類がたくさん群がってきます。これらの昆虫は、昆虫同士で食べたり食べられたりして生存しています。
また、草食動物は草を食べ、その草食動物を肉食動物が食べていきます。 草は食べられることで、昆虫や草食動物を繁栄させます。草食動物は肉食動物に食べられて、肉食動物の繁栄を支えています。その肉食動物も、やがて死を迎えるとバクテリアによって分解され、植物の栄養となります。
つまり、これらの一般の生物たちは、自分が生きるだけではなくて、自分の命と引き換えに他の命を助けています。そのような循環が、この地球上では延々と行われてきています。
世のため人のために尽くして生きる
一般の動植物は自分の命を差し出して他の生き物を助けていますが、我々人間は、植物でも動物でもすべてのものを殺して生き永らえて繁栄を続けています。
人間は素晴らしい知恵を持つと同時に、素晴らしい理性や良心を持っています。ならば、すべての命を収奪して生きるだけではなく、理性や良心を使って、他のものたちに対して何か施しをすることも考える必要があるのではないでしょうか。
せっかくこの世に生を享けたのですから、命のある限り自分だけが生きるということではありません。世のため人のために尽くす生き方が人間として基本的の心構えではないか。そこに、この人生を生きていく意義があるのではないかと思うのです。
利他の心の原点に感謝がある
お釈迦様は、生きていく人間にとって一番大事なことは利他の心であると説きました。お釈迦様の神髄とは、慈悲の心です。思いやりを持った慈しみの心、それがお釈迦様の心です。
この心は、他のものを少しでも助けてあげよう、よくしてあげたいとの心です。そうした心を持って生きていくことこそが人生の目的なのではないのでしょうか。つまり、利他の行為を行うことが、人問にとって、一番大事なことだと思うのです。
この利他の心の対極にあるのは、利己の心です。自分だけよければいいと思う心です。このような利己の心を離れて、利他の心で他人さまをよくしてあげようと人生を生きていくことです。しかし、これは口で言うほど簡単ではありません。
利他の心を持って、他人さまに美しい思いやりの心で接しようという考えで人生を生きていこうと思えば、まず、現在生きていることに感謝をするという心が芽生えてきます。そのよな気持ちになると、自然と自分自身がどんな環境にあっても幸せだと思える心になっていくはずです。
「いや、私は決して幸せではありません。大変不幸な人生を生きています」とおっしゃる方もおられるかもしれませんが、この世の中を見渡せば、もっと不幸な境遇の人もたくさんおられるはずです。そう考えれば、親兄弟が一緒にいられるだけでも幸せではないかという感謝の念が湧いてくるはずです。
善き思い、善き行動が運命を好転させる
人はそれぞれ運命というものを背負ってこの世に生を享けていると思っています。ただ運命の導くままに、我々は人生を歩きはじめます。
そのときにとても大事なのは、善きことを思い、善きことをすれば人生によい結果が生まれ、逆に、悪い思いを抱き、悪いことを実行すれば人生が悪い方向に変わっていってしまうということです。
運命というものは変えられない宿命などではなく、その人の思い、その人が実行する行為によって変わっていきます。
宇宙は因果の法則で成り立っている
稲盛氏(京セラ創業者)は27歳で会社を創業し、幾多の試練と苦難な壁を乗り越えた体験から、人生というのは自分の心の思い通りに変わっていくのだと考えるようになりました。
不平不満ばかりの暗い思いや「いやな思いだけを持っていれば人生はさらに暗くなってしまいますし、明るく前向きな思いを抱いて頑張れば人生は好転していきます。自分の心の持ち方一つで、人生は良いほうにも悪いほうにも変わっていくのではないかと。
そんな思いを抱いていた時に、一冊の本と巡り合いました。その本を読んで「善き思いを抱き、善きことを実行すれば人生はよい方向に変わっていき、悪い思いを抱き、悪いことを実行すれば人生は悪い方向に変わっていきます。
もともと持っていた運命がどうであれ、それは変わっていくものであり、運命は決して宿命ではないのだ」ということを確信するに至りました。そういう因果の法則のようなものが存在するのではないかと思いはじめていました。
「因」というのは原因ですが、この「因」が「縁」に触れて「果」、つまり結果を生じると考えます。これは現代物理学の最先端にある宇宙の原理に照らしてみても、その通りなのです。 お釈迦様が修行されて悟りを開いたというのは、真の知恵を得たという意味です。
思いが人生をつくっている
お釈迦様は悟りを開かれた眼力でこの世界を見て、「宇宙の真理とは、森羅万象すべてに原因があり、原因は縁によって結果を生んでいく」と説いています。 これは、我々の人生にもあてはまる考え方です。私たちは現世で、いろいろな生活し、生き方をしています。この我々が現世で生きているというのは結果です。
そうした結果にはもともとの原因があって、その原因が縁に触れて我々は現在の生活をしているわけです。 では、この現世で人間がつくる原因の最初にあるものは何かと言えば、それは人間の思いです。
我々は自分の心に思ったことを実行するのであって、心に思わしないことは実行しません。思ったことをすべて実行するわけではありませんが、我々がやっていることはすべて心に芽生えたことです。
だから、思うことが原因ですし、思いを実行したこともまた原因となるわけです。その思いと行動の結果として、今、我々が生きている人生があるのです。
よい因をつくればよい結果が生まれる
現世で暮らしている我々の環境には、家庭、会社などがあります。それらは我々が前世でつくった原因、そして現世に生まれてきてつくった原因の結果です。そうしてつくった原因が縁に触れて、この現世のいろいろな関係の中で結果を生んだものが現在の我々の生活です。
この原因の「因」のことを仏教では「カルマ」とか「業」とか呼びます。この業が縁に触れて現実の世界をつくっているのだと仏教は教えています。
このように考えれば、一所懸命に働き、善きことに努めれば、充実した人生をなっていきます。
参考文献:『成功の要諦』 稲盛 和夫 著/ 致知出版社