■模倣から創造へ ・・
モーツァルトは、他人の音楽を模倣することから、独創的な音楽を生み出したと言われています。ビジネスの世界でも常識を覆して新しい事業を立ち上げた経営者は、模範となる企業を模倣や参照し、斬新な事業展開を行っています。
宅急便を立ち上げた小倉昌男氏は、当時、吉野家が牛丼一筋に絞り込んで成長してきたのを見て、「取り扱う荷物の絞り込み」というアイデアを思いつきました。業務指導と視察のためニューヨークを訪問した折、街角に立ってふと見ると、交差点を中心にUPS(ユナイテッド・パーセル・サービス)の車が4台停まっているのに気づき、集配密度を軸とする宅配ビジネスの可能性を確信しました。
ただし、ビジネスの世界では、形式だけまねをしてもうまくいかないものです。 他社の優れている部分に学び、ただ「まねる」だけではなく、何度も自社に適合する形態にトライし、その失敗と貴重な経験から学び直し、経営改善や経営革新につなげる絶え間ない努力が必要です。
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ドトールのお手本
日本で喫茶店のイノベーションを引き起こしたドトールはヨーロッパのカフェに触発された。創業者の鳥羽氏が喫茶店を始めようとしたきっかけは19歳のとき、勤めていたレストランで朝一番に入れたコーヒーの味が大きな影響を与えた。業界団体の視察旅行の折、訪れたパリで、行き交う人たちが日常的にコーヒーを飲んでいる。
外のテラスで飲むと150円、店内だと100円、立ち飲むと50円というように値段も違う。日本ではまだコーヒーというのが特別なものだったが、パリでは毎朝出勤前に安い値段で立ち飲みをしてオフィスに向かう。 この様子を見て、「そうだ、この立ち飲みスタイルが喫茶の最終形態になるだろう」と感じた。
次に、訪問したスイスの焙煎工場では、その美しさに驚嘆した。きれいな芝生が敷き詰められた中庭、美しい花々。おとぎの国のようなファクトリーパーク等。 当時、日本の喫茶店は、薄暗い雰囲気の店がほとんどで、コーヒーは煮詰り本来の香りがしなかった。サラリーマンたちがヒマつぶしをし、タバコの煙が充満していた。
しかも、コーヒー1杯の値段は高くなるー方で、当時、高度成長期を迎え、材料費も家賃も人件費も急上昇していた。関係者は価格が上がるのも当たり前だと感じていたようだ。鳥羽氏は、お客様がそのような価格を支払うことができなくなる日が来るのではないかと心配した。それだけに、ヨーロッパへの視察旅行で理想的なモデルとの出会いは衝撃的であった。
事業コンセプト
視察の後、鳥羽氏が、「健康的で明るく、老若男女ともに親しめる店」というコンセプトで「カフェコロラド」を立ち上げる。
当時、6回転すれば成功と言われていた喫茶店において、コロラドは12回転することもあったそうだ。この成功を経て、いよいよ1980年にドトールが誕生する。たまたま原宿の一等地で「9坪しかないがショップを」という声がかかった。このとき、鳥羽氏は「時機は今!」と直感したそうだ。
ドトールのコンセプトは、一言でいえば、低価格の立ち飲みスタイル。1971年にパリのシャンゼリゼ通りで目にしたカフェのスタイルである。「これが最終形態」と感銘を受けたそのスタイルを、10年近くの歳月を経てようやく実現するチャンスが訪れたのである。
ドトールの事業の仕組み
まず、コーヒー1杯の価格を150円と決め、その低価格を実現するために何をすればよいのかを考えた。そのために重要なのは回転率である。低価格・高回転を実現すれば、利益を生み出せる。
そこで、立地は都心の1等地と決めた。テナント料がかさむが、閑散とした場所に店を出しても客足は伸びない。
たくさんのお客様に来ていただくために、駅前や繁華街に店を構えることにした。また、お客様に来てもらうには、短い時間であっても、密度の濃いひと時を過ごしていただく必要がある。なによりも、お客様を待たせないということが大切だ。
そして、従業員が余裕をもって笑顔で接客できなければならない。そのためにセルフサービスを導入し、徹底的な機械化を進めた。コーヒーを入れるための機械はもちろん、食器の洗浄機、コンベアトースター器などを導入した。おかげで、少ない従業員で迅速に給仕できるようになった。
機械化とセルフサービスとを組み合わせることにより、カウンターで注文すると同時に、手際よく渡せるようになった。待たせることもないし、従来の喫茶店と比べると、労働生産性が4倍近く高くなった。150円という価格は、当時のコーヒー1杯の相場のほぼ半額で、あまりの安さに「いつまでディスカウントを続けるのですか」と勘違いされたほどだった。
同じ対象でも違う仕組み
スターバックスの場合、立ち飲みスタイルのイタリアのエスプレプレッソ・バーをモデルにしたにもかかわらずゆったりとくつろげるカフェを実現している。それはー説によれば、シアトルは降雨量が全米NO1、ゆったりくつろげる場所が必要だったからだとも言われる。
スターバックスのシュルツ氏は、個性豊かで多様なイタリアのエスプレッソ・バーをいくつも観察して、バリスタの存在感と客どうしの仲間意識が大切であることを見抜いた。
一方のドトールの鳥羽氏も、短い視察期間で「立ち飲みスタイルこそ最終形になる」と予見している。フランスのカフェから立ち飲みのヒントを得て、ドイツのチボーからコーヒーの挽き売りを学び、スイスの工場から働く環境の大切さを学んだ。ヨーロッパで視察した複数のモデルを組み合わせて、独自性の高いビジネスに仕立てていったのである。
例えば、オーソドックスなフランスのカフェをモデルにしたにもかかわらず回転率の早い立ち飲みスタイルを実現している。
日本人の忙しさを顧みれば納得のいく話だ。また、フランスでの支払いは、テーブルで飲み物を給仕されると同時に済ませるのが普通だが、日本ではそういうわけにもいかない。立ち飲みスタイルを実現するためのオペレーションはフランスのそれとはまったく異なる。
要するに、単純なコピーでは済まなかったのである。結果的には、創造的模倣をしたことになったが、最初から何を模倣すべきか達観していたわけではないのかもしれない。むしろ、その過程で徹底的に模倣し、その模倣の成功や失敗から、いろいろなことを学んだように思える。
鳥羽氏は「優れた人物、優れたものがあったら、恥じることなく大いに見倣って勉強すべき」だという考えをもっている。 しかし、実際にそのイメージを適応させて事業の仕組みづくりをするのは容易なことではなかった。最初から、最適な要素をすべて取捨選択できたわけではない。
もとをただせばスターバックスもドトールも、純粋に模倣しようというところからスタートしている。 ともに、遠いところから本質的な部分を倣いつつ、自らの国の脈絡に合わせて変更を加えていき、独自性を生み出した。 倣うべき本質を見抜いたということは重要である。
徹底した模倣から生まれる創造性
模倣というのは、忠実に再現しようとすると、とても大変なことなのかもしれない。実は、きわめて高い能力が必要とされる。たとえば、製品にしても仕組みにしても、外から解析するといっても試行錯誤が必要とされる。
100のノウハウを模倣しようと試行錯誤を重ねていくうちに、200ぐらいの能力が蓄積されるようになることもあるだろう。こうして能力を高めることができれば、次のステップでオリジナリティを発揮することができる。
とても負荷のかかる作業ともいえる。だとすれば、その負荷こそが成功の鍵だという、逆の見方もできる。試行錯誤と、そのプロセスにおける学びが大切だということになる。
しんどさを嫌うと、模倣によるイノベーションは決して引き起こせない。 創造性が生まれるロジックについて、鳥羽氏は、次のように語っている。徹底してその人を見倣い、研究し、模倣する。その過程で個人の能力は相当高まるだろう。
そして、その高まった能力によって個人のオリジナリティというものが生み出されることになる。それは日本の昔からの舞台芸術の世界、能楽においても、自らの芸を高めるために徹底的な物学が推奨されている。
女になる、老人になる、そして物狂いになる。その人となりに成りきることで、理解できる境地があるようだ。ビジネスの世界においても、その道を究める経営者ほど、倣うことについての姿勢ができており、模倣の鍛錬を積んでいるような気がしてならない。
参考文献:『模倣の経営学』 井上 達彦著/日経BP社