逆境を超える

組織では、予定通りに物事が進まず、上手く行かないことや、問題が起こることが多々あります。そのとき、トップは、現場へ指導できる詳細な知識を持ちながら、外堀も抜かりなく埋めていかなければなりません。

稲盛和夫氏は日本航空を再建するとき、5000億円もの債務放棄と公的資金の注入を実現しながら、社員の経費の使い方まで細かく指導しました。航空業界の人ではなかったのですが、約3年で同社を見事に再上場させました。

それには、現場を詳細かつ正確に知り、細部にまで必要な指導を徹底しました。危機が迫ったときは、可能な決断を矢継ぎ早に行いました。 稲盛氏はだれもが無理と思うような課題でも、人を動かし達成しています。

トップはどんな逆境においてもあきらめず、新しい可能性を信じて邁進し、意気消沈する社員を励まし、進むべき方向を示すことが大きな役割です。

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勇気ある言葉が・・

優良企業であっても順風満帆の状態が永遠に続くということはありえない。景気が悪化し売上げが低迷する、ライバル企業にシェアを奪われる。 社員の不祥事が公になって信用を失墜するなど、ひとたびそういった事態に見舞われれば、たちまちその会社は危機に瀕する。

そんなとき、経営者の真価が問われる。真のりーダーは、どんな逆境でも、決して冷静さと希望を失わず、意気消沈する社員のやる気を鼓舞し、進むべき方向を指し示す言葉を発することができる。

どんな逆境も跳ね返す

川崎製鉄(現JFEスチール)初代社長である西山弥太郎氏は瓦礫のなかに残った工場で部下に、「これから日本は戦争ではなく、貿易で金を儲けて豊かになるしかない。

ただし、世界でわたり合っていくには祖国愛が重要だ。だから日本を愛しながら金儲けに徹することにしよう。さらに、日本は戦争に負けて、4つの島に封じ込められた。戦前の植民地なしで7000万人余を食べさせていくには、軽工業だけで細々とやっていだのでは駄目だ。重化学工業への転換が必要だ。

それには鉄だ。だから我々は、迷うことなく、製鉄業の立て直しに邁進しなければならん」と。これから会社はどうなってしまうのだろうと疑心暗鬼になっている社員に向かって、ただ「大丈夫だ、心配するな」と繰り返しても何の足しにもならない。

そこで西山氏は、戦後の日本人が目指す姿をまず具体的に示し、次いでそれを可能にするには鉄が不可欠、だからこの会社には未来がある、と順序を踏んで説明した。

つまり、日本の将来を暗示するような話をしながら、実は社員に対し、安心して働きなさいというメッセージを発信していたのである。戦後の復興から高度成長期にかけて日本は鉄の需要が飛躍的に伸びた。当時、西山氏の目にはその光景が映っていたのだろう。

また、アイリスオーヤマの大山健太郎社長も、逆境から這い上がってきた経営者だ。最大の逆境は、1974年の第一次オイルショック。10年かけて蓄えた会社の資産はあっという間に底を尽き、たちまち会社は危機に瀕する。

工場の閉鎖や社員の解雇でなんとか倒産だけは免れたが、それは大山氏にとって身を切られるようなつらい経験だった。のちにそのときの決断を聞かれて、答えている。

単に売れればいいなら、100円を90円にすればいい。でもそんなことをやっていても未来はありません。会社の目的は、永遠に存続することです。 そのためには常に新たな需要を創造していくしかない。

その力がある商品かどうかを見ているのです。どんな時代でも利益を出し続けるにはどうしだらいいのか。それまでの「ただいいものをつくる」ことから、「マーケットを発見しニーズに応える」経営に発想を転換した。 後にデフレ不況で多くの企業が苦しむなか、悠々と黒字経営を続けるというアイリスオーヤマの快進撃はなかったに違いない。

大勝負への覚悟を伝える

2001年、ソフトバンクのブロードバンドのネットワーク構築が遅れ、サービスの開始を待つ顧客の怒りは頂点に達していた。局舎間を結ぶのに必要な光ファイバー回線を、在庫不足を理由にNTTが貸してくれないのでどうにもならない。そこで、孫氏は監督官庁である総務省に乗り込み、担当者に向かってこう叫んだ。

「ライターを貸してくれんね。ここで俺は油かぶって死ぬけん」 驚いた担当署はすぐさまNTTに電話をして自ら在庫を確認し、その場で光ファイバー回線を借りられるよう指導したという。 いざとなったら命を懸けるという心構えで交渉に臨む覚悟は、間違いなく称賛に値する。

孫氏は、2000年代前半のネツトバブルの崩壊で会社の業績が低迷すると、起死回生の策としてブロードバンド事業への参入を決める。 当時のブロードバンドはADSLが主流で、初期費用が数万円もかかり、さらに毎月の利用料金も6000円前後と高額だったため、―部のマニア以外はなかなか手が出せなかった。

費用を引き下げるために、モデムを大量発注して安価に調達するという策を思いついた。 当時、まだADSLの加入者が数万人しかいない時代、100万台という数はあまりに無謀すぎる。もしさばきれず膨大な在庫を抱えることになれば、会社は耐えられない。はじめ周囲のスタッフは大反対したが孫氏は譲らず、100万台の注文書に自らサインしてしまった。

さて、結果はというと、孫氏の狙いどおりモデムの価格を安く抑えることができ、破格の値段設定で市場に参入、これによってそれまで高額ゆえに敬遠していた一般家庭のユーザーを取り込むことに成功、業績はV字回復を遂げたのである。

部下の心を掴む

優れた能力の持ち主でも、部下の信頼を得られず、取引先から反感をもたれたりしていたら、思うような組織運営はできないだろう。 そういう意味で、人望というのは経営者にとって、きわめて重要な資質だといえる。

ホンダの創業者である本田宗一郎氏は、よく社員に雷を落とした。しかも、口より先に手が出る」とも珍しくなかったという。それでもホンタの社員は誰もが本田氏のことを「オヤジ」と呼んで慕った。なぜだろうか。

こんなエピソードがある。社長を退任した本田氏が、それまでの感謝の気持ちを直接伝えたいと、全国の工場や販売店を回っていたときのことだ。若い工員が、本田氏に握手をしてもらおうと差し出した手をあわてて引っ込めた。油で汚れたままだったから。「いや、いいんだよ、その油まみれの手がいいんだ。俺は油の匂いが大好きなんだよ」と、彼の手をしっかり握り、自分の手についた油の匂いをクンクン嗅いた。

感謝の気持ちが計算やポーズだったら、こうはいくまい。本気だからこそ、シナリオライターにも書けないような名言が口からすっと出て、すぐさまそれを行動に移せたのである。逆に、言葉のセンスだけをいくら磨いても、口先だけでは、人の心を掴むことはできない。

1勝9敗は、ファーストリテイリング柳井正会長兼社長の代名詞といっていい。ユニクロを一代で世界ブランドにしたあの柳井氏ですら、うまくいくのは10回のうち1回と聞けば、勇気が湧く。だだし、柳井氏は、単純に10回挑戦すれば1回は成功するから失敗を恐れるなと言っているわけではない。

人より早くたくさん失敗し、なぜ失敗したか考え、それを財産として次に活かす。1勝9敗は、ひとつの成功のためには9回の失敗と学びが、不可欠という意味なのである。

一直線に成功というのはほとんどありえないと思う。成功の陰には必ず失敗がある。一直線に、それも短期間に成功したように思っている人が多い。

森重隆氏は「神になりたい」と富士フイルムホールディングスのCEOに就任したときこう思ったと語っている。不遜な発言にも聞こえるが、決してそうではない。

押し寄せるデジタル化の波で、それまで会社の売上の2/3を占めていた写真フィルム事業は危機が迫っていた。自分が道を誤れば会社がつぶれてしまうかもしれない。プレッシャーにつぶされそうになりながら、必死にもがく古森氏の叫びが、「神になりだい」という言葉だったのだ。

輝かしい実績を挙げ、経済誌にも頻繁に取り上げられているような経営者は、傍からはたいした苦労もせず、やすやすと会社を運営しているように見えるかもしれない。

しかし、それは大きな間違いだ。当たり前だが生まれつきの名経営者や、テレビドラマの主人公のように、絶対に失敗しない社長なんているわけがない。みんな人知れず苦労し、悪戦苦闘しながら、やっとの思いで結果を出しているのである。

参考文献:『プレジデント 2015/6/1号』

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