■ 本質をつかむ
先行きが不確実な時代、変化の時代に、現実社会を乗り越えていくためには模範解答を知っているかどうかではなく、徹底的に考えて解答を自ら創りだせるどうかです。
この場合の考え方は論理的な思考力、いわゆるロジカルシンキングにかぎりません。個別に非定期的に、しかも創造的に考えなければ解決できない問題、対処に微妙なバランが求められる問題が増えています。
世の中に存在するありとあらゆる問には明確な正解などないのです。だからとにかく考え続けるしかない。ある方法をいいと思えばそれを試みる。そしてうまくいかなければ、別の方法を試みる。
いい解決方法はそうした試行錯誤の中で、あるとき突然見つかるものです。 答えのない問題に対し、いかに自分の頭をフルに使い、最善の解決策を見つけるためには考え抜くことが重要です。
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考える力
人は何かを読んだり、話を聞いたりした情報を、自分の頭で理解し、記憶したりして、「考える」ことをしていきます。 さらに、考えたことを、自分の言葉で新たに表現することも重要です。多くの人は考えるという作業をパーソナルな営みのように思っています。
つまり、ある人の考えを受け取った相手は、理解し、記憶し、自分の頭で考えるという作業を通して、自分独自の「考え」をさらに誰かに表現していくのです。 おそらく組織や自分を取り巻く集団、もっと広く言えば社会や文化というものは、そのようにして発展していくのではないでしょうか。
本は想像力を鍛える有効なツール
本の内容を理解するには、そこに並ぶ文字を読み、そこに書かれていることを自分の頭の中で立体的な映像に置き換える必要があります。 たとえば、小説であれば登場人物の表情や様子、服装、まわりの風景などを自分で組み立てていかなければなりません。
つまり、2次元の文字列を、3次元の世界へと膨らませるという作業を頭の中で行ない、そこに書かれている状況や雰囲気、このときに駆使するのが想像力です。
書物には図解やイラストなどが挿入され、理解の手助けをしてくれることもありますが、基本的には文字で構成されています。 そのため、最初から最後まで想像力を駆使し、その文字列を読み解いていかねばなりません。これは、相当な想像力の訓練になります。
文字と映像は何が違うのか
受け取る入力の情報量が少ないほど、脳は想像力を発揮します。入力の情報量は「活字→音声→映像」の順で増えいきます。想像力で補わなければならない情報量は、これとは逆の順番になります。
入力の情報が活字や音声また映像で与えられ、その受け手が同じ内容を理解したとすると、入力された情報が少なければ少ないほど、想像力で補われる部分が大きくなるわけです。 ここで言う「想像力」とは、「自分の言葉で考える」と言えます。脳の中でこの想像力を担うのは、脳の言語野を駆使して考えることになります。
最近は多くの人が本を読まなくなる傾向です。情報を得る手段は、もっぱら情報メデアが多様に進歩したことで、テレビやDVD、YouTubeなどの映像が中心になっています。これらでは、想像力を育てていくのには、不十分だと思います。
映像に頼りすぎると「思考停止」になりやすい
文字を読まず、映像にばかり頼ってしまえば、想像力は鍛えられません。なぜなら、映像は、1枚の画像の中ですべてを示すことができるため、見る側に想像する余地を与えないからです。
たとえば、ある場所を写真にとり、それをメールで相手に送れば、受け取った側は、あなたが今どのような場所にいて、どんな表情を浮かべているのかといったことを一瞬で知ることができます。
このとき、見た側はほとんど想像力を働かせる必要はありません。それは、逆の見方をすると、なんとなくわかった気になってしまい、ほとんど頭を働かせないということでもあります。
一方、今あなたがいる場所を文字で描写しようとしたらどうでしょう。 「部屋の大きさはこれくらいで、壁の色はこんな色で、こんな家具があり、私のほかに3人の人がいて、ひとりはこういう身なりで、こんな表情を浮かべていて・・・」と、相手に理解してもらうには、それこそ原稿用紙が何十枚も必要になることでしょう。
つまり、想像力は視野を広げてくれます。「もっと別の世界があるのではないか」「もっと別の見方があるのではないか」「現場はどうなっているか」。そこから思考は広がり、よりよい解決へ結びつけるのです。
知識、感情、意欲をバランスよく育てる
「考える」とは、知性や理性に基づいて、物事を論理的に組み立ていくことです。多くの人はそう考えているのではないでしょうか。そこでは、感情に左右されたり、直感に頼ったりしないようにと注意しているでしょう。
昨今、ロジカルシンキングの能力が重視される風潮は、その流れの中で起きているといえるでしょう。 しかし、「考える」とは、知性や理性だけで進められるものではありません。
「人の喜ぶ顔を見るとうれしい」「このままでは嫌だ」「こんな理不尽は許せない」といった感情があるからこそ、「彼らの役に立つにはどうすればいいのか」「この不安を解消するにはどうすればいいのか」などの思考が生まれてきます。
さらに、「こうなりたい」「こうしたい」という意志をもっているからこそ、うまくいかないときに、冷静に状況を分析して対策を講ずることができます。 このように、人間が考える際には、知性だけでなく、感情や意志といったものも大きな役割を果たしているのです。
この状態を表わした言葉が「知、情、意」です。 「知」とは、知識や知恵、知性など。「情」とは、感情、感性、情緒、感動など。「意」とは、意志、意欲、意地など人間のやる気にかかわる部分を指します。
人間はいってみれば、「知、情、意」の統合体です。ものを考えるとき、この「知.情、意」の3つを互いに連携させながら、よりよい解決策を模索しているのです。
「知・情・意」をバランスよく磨く
「考える力」を身につけていくためには、「知、情、意」の3つをバランスよく磨いていく必要があります。どれかひとつでも欠けていたり、どれかひとつが突出していたりという状況では、なかなか物事の本質を見ていくことはできないでしょう。
たとえば、知識だけで物事を解決しようとすればどうなるでしょうか。 ひたすら理詰めで、情のかけらも感じられないやり方になってしまい、なかなか周りから支持を得られないでしょう。
あるいは、知識を欠いたまま、感情だけで突っ走ってしまえば、どうなるでしょうか。これもまた、とんでもない結果を引き起こす危険性が多々あります。
たとえば、甘い気持ちだけで起業して失敗したり、相手の態度が気にいらなくて口論し、泥沼の状態に陥ってしまったりすることなどが、まさにこのケースでしょう。
意志の部分がうまく機能しなければ「考える意欲がわかない」とか「やる気があるのに空まわりしている」という状態になります。そのようなときはもやもやとした感情だけが渦巻き、なかなか本質思考には辿りつけません。
夏目漱石がいう「知、情、意」
夏目漱石が『草枕』の冒頭で「智に働けば角がたつ。情に棹させば流させる。意地を通せば窮屈だ。兎角に人の世は住みにくい」これはまさに「知、情、意」のバランスの大切さを述べた一文だといえます。
よりよい思考を進めていくうえでは、「知、情、意」の3つからアプローチしていくことが不可欠です。そのためには、この3つをバランスよく育てていくことが何よりも大切なのです。
参考文献:『本質をつかむ思考法』 ( 伊藤真 著/ KADOKAWA)