■ 夢を叶える
スティーブ・ジョブズが2005年スタンフォード大学の卒業式で「現在やっていることが、いずれつながると信じていれば、他人が何を言おうが自信を持って歩き続けることができる」とスピーチを行いました。
若いときに自分の愛する仕事を見つけることができたことは、彼にとって非常に幸運でした。ITを活用して人々の暮らしを楽しくすることが彼の天職であり、ミッションでした。
何のために働くのかが明確になると、他人とは違う自分だけの価値を生み出すことができます。人として生まれ、ミッション達成のために命を燃やす以上、会社員、経営者、フリーで働いているか無関係です。
大切なのは、世の中をよくするため心の底からわき出てくる使命感です。そして、会社はその使命感と 自分、ミッション、三位一体で成長します。 今の仕事が社会に役立っていることを感じとり、いかされている理由を考え続けることこそが大切です。
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最大の特徴は主翼上に配置したエンジン
最大の特徴は主翼上に配置したエンジン ホンダが創業者、故本田宗一郎氏の夢だった大空への翼を手に入れた。研究着手から30年近い歳月を経て、独自開発したホンダジェットは2015年に顧客引き渡しが始まる予定だ。 ホンダは1986年に航空機の研究開発に着手。藤野氏(54歳)は、ゼロから開発に携わったホンダジェット生みの親だ。
ホンダ執行役員であり、航空機事業子会社ホンダエアクラフトカンパニー(米ノースカロライナ州)の社長兼CEOを務める。米セスナとブラジル・小型ビジネスジェット機市場はエンブラエルの2社が圧倒的な力を持っている。新規参入するには、「性能とスタイルの両面でこれまでにない価値を提示しなければ勝てない」と考えていた。
従来の小型ジェットはいずれもジェットエンジン2基が機体の後方に位置している。ホンダジェットはエンジンが主翼の上に設置され、胴体に直接エンジンを据え付けるこれまでの機体にはなかった特有の主翼上エンジンの配置のスタイルなのだ。 エンジンを胴体に設置すると、胴体を貫く構造部材のために機内空間(キャビン)を犠牲にしなければならない。
ホンダジェットはこの難点を解消した。さらに、キャビンの広さは競合機種に比べ、約20%広い。搭乗中の快適性や大型のゴルフバッグ6個が入る広い荷室など、使い勝手の良さを顧客に提案した。 主翼の形状、機体の先頭形状などの工夫によって空力抵抗を抑え、最大巡航速度も競合機種を上回る。しかも燃費性能も、「他のライバル機種より15〜17%優れている」と藤野氏は胸を張る。
機能美を追求したデザイン
全米航空機製造者協会(GAMA)によると、2013年の世界のビジネスジェット機市場は約210億ドル前年から23%増加。2020年までに約340億ドルに成長するとの業界予測もある。7人乗りで、価格は450万ドル(約4億9000万円)。
米国では法人需要だけでなく、富裕層などの個人の顧客も多い。オーナー自身がマイカー感覚で操縦するケースも多く「高性能、低燃費、格好いい」という顧客ニーズが特に強いといえる。
藤野氏は「機能が優れているものはスタイルも美しい」との思いでホンダジェットの開発を進めてきた。2003年の初飛行の際、「あの飛行機は何だ。格好いいじゃないか」。米ノースカロライナ州の国際空港で着陸態勢に入ったパイロットが管制官と交信している言葉が耳に入ってきた。追求してきたホンダジェットの「機能美」に、顧客を振り返らせる力があるとの確信をもった瞬間だった。
それから10年あまり。2014年7月、米ウィスコンシン州で開かれた航空ショーでホンダは顧客に販売するモデルとなるホンダジェット1号機を一般公開した。真新しい機体の周囲を多くの観客が取り囲み、羨望のまなざしが注がれた。藤野氏はホンダジェットの性能とスタイルの優位性について、インタビューで絶対的な自信を示している。
競争力を生み出した最大の要因はエンジンの主翼上配置を実現したこと。 では、なぜ他のメーカーはこれまで主翼上にエンジンを配置しなかったのか。それは航空機技術の常識ではありえない設計だったからだ。
アイデアがひらめいた瞬間
引っ越しの荷物を整理していたときだった。1995年、藤野氏は米国での航空機研究を終え、日本に帰国していた。自宅を転居する際に、荷物から出てきた昔の書籍をたまたま手に取った。1930年代に書かれた空気力学の教科書だ。次の瞬間、あるアイデアがひらめいた。
主翼の上にエンジンを設置する機体デザインは航空機ではあり得ない設計だった。主翼とエンジンの周りの空気の流れが互いに干渉し合い、抵抗が増えるためだ。デメリットが多くて、航空機の世界ではタブー視されていた。「自身も色々試して難しいというのは分かっていた。当初は選択肢になかった」という。
1930年代の教科書でそんな固定観念を覆すヒントを得た。まだコンピューターのない時代の教科書で、空気の流れを関数で組み合わせて計算していた。主翼とエンジンの2つの空気の流れを組み合わせてベストな流れになるように計算すれば、デメリットはなくせるのではないかと。
次の日から主翼とエンジンの位置と空気の流れや抵抗などをはじき出す計算を始めた。膨大な計算を何カ月も続けているうちに、抵抗が下がる主翼とエンジンの相対位置がほぼピンポイントといえる狭い領域にあることを見いだした。
しかし、航空機の世界の"常識"を覆すのはそう簡単ではなかった。理論計算だけでは100パーセントの確信には至らない。「今までそんな研究論文はなかったし、実験結果もなかった。理論が正しいかを実証するため、1998年、米ボーイングの風洞実験施設を借りて、模型を使った風洞実験に着手する。
意を決して論文投稿
ボーイングの人々は当初、冷ややかに見ていたという。自動車メーカーのホンダは航空機では素人という色眼鏡もあったのだろう。それでもめげず、風洞実験を続けた結果、理論の正しさを示す実験データがでてくる。
ボーイングの専門家も見る目が変わった。「ホンダは奇抜だが斬新なことをやっている」と感じたのではないか。藤野氏自らも「これは航空機開発史の中でも大きな発見ではないか」との気持ちだった。
だが、学会から理論の正当性を得ようと論文を執筆したときにも、航空機業界の長年の"常識"が壁となった。米航空宇宙局(NASA)にいた知人のアドバイスで、執筆した論文の投稿を半年から1年ほどためらったという。航空機分野で最先端の研究をしているNASAでさえ、これまでにそんな研究成果を出していない。
藤野氏は論文の内容が正しいか、実験結果が合っているか何度も何度も検証を重ねた。論文を出さなければ次のステップには進めない。藤野は意を決した。学会で理論の正当性を認めてもらわなければ、これまでにない独特な機体デザインのホンダジェットは市場で受け入れられないとの思いがあった。
論文は投稿から程なくして米航空宇宙学会の高い評価を受ける。これまでの常識が誤りであり、ホンダジェットが斬新的な設計であることが航空機の世界で認められた瞬間だった。お墨付きを得たことで2003年12月、ホンダジェットの記念すべき初飛行に挑み、成功させた。 だが、2003年の初飛行成功後に待ち受けたのは事業化までの高いハードルがあった。
強いリーダーシップが航空機開発に求められる
ゼロから新しい飛行機を開発するには藤野氏のような人が必要」。そう評するホンダや航空機の関係者は多い。 藤野氏が技術発表の際、記者から必ず出る質問は「どうしてこんなに少ない人数でホンダジェットを開発できたのかと。
返答に「組織をフラットにし、直接スタッフとコミュニケーションを取り、具体的な指示や決定を下していくこと。航空機の場合、皆が集まって会議しても、決していいアイデアは出ません」と。アメリカで著名な開発のリーダーに接してきた経験からの言葉だ。
確かに、開発期間が長く、数百万個の部品の製造プロセスまで含めて品質証明を1つ1つ積み上げていく航空機は、よほどの意思と胆力のある人間でなければ手に負えない。 研究開発を始めて10年目に、大きな危機があった。ホンダが参入するなら画期的な技術、価値がないと意味がない。正直、その時点ではそこまで到達できていなかった。経営陣や社内も、そろそろあきらめないとダメかという雰囲気があった。
藤野氏は30代前半の頃は経験したこがない難題を克服していく中でも、クルマに戻りたいとか、会社を辞めて他の職業に就きたいとか、いろいろなことを考えた。 しかし、この貴重な経験から「与えられた環境の中で一生懸命に仕事をし、いろいろな経験を積んでいくことで、自分の持つ本当の適性や能力が磨かれる。
そのとき初めて、自分のやるべき仕事の意味や意義が理解できるようになる。つまり、自分に対する客観的な判断ができるようになる」と心境を披露している。
また、若いエンジニアが「この仕事は自分には向いていません」、「自分のやりたい仕事と全く違うので変えてください」とか言ってくるときには、「まだそういう判断は早いよ。」「自分の本当の適性や能力を判断できるようになるのはまだまだ先、もっと経験を積んでからである」と諭している。
適正は仕事についたときから見つかるわけでない。難しい課題に出くわし、逃げていては仕事の面白しろさがわからない、愚直なまでの姿勢で努力し成し遂げたとき、達成感がじわっと湧いてくる。
また、その仕事の成果から他の人に役立っていると感じられることから、仕事にたいする意識が向上し喜びが湧いてくる。自分自身が成長していくことによって視点も高くなり、視野も広まり、今まで見えなかったものが見えるようになる。
世の中、企業も常に変化し続けている。そして変化するもの同士が、無限に考えられる組み合わせのなかで、日々常にベクトル合わせをし続ける。そのような環境のなかで仕事と対峙し成長していくのでしょう。
参考文献:『日本の革新者2014 』 (日経ビジネス 2014/11/25 )