揺るぎない使命感を抱いて

市場環境が大きく変化し、お客さまのニーズも多様化してきています。そこで、社会や市場に合わせ、仕事の進め方や方法を改善し、場合によっては価値観さえも変えていかなければなりません。誰もが変革の重要性を頭では理解していますが、言うは易く行うは難しいです。

約10年前、デジカメが普及し始め冨士フイルムはフイルムの国内需要が激減する状況に追い込まれました。例えるなら「トヨタから車がなくなる」「新日鉄から鉄がなくなる」ということと同じです。当時古森重隆社長は利益の3分の2をはじき出していた事業に大ナタを振るい、リストラを実施し、有望な事業に思い切った投資を断行しました。

それができたのは、リーダーが変えることへの挑戦を繰り返し、途中で投げ出さず継続する意志を持ち続けました。また、あるべき将来像を語り続け、メンバーと腹蔵のない意見交換をし、納得のいく職場ビジョンを描いていきます。それが共有されたとき、一人ひとりの中で「変える」ことへの動機が芽生え、行動へのエネルギーとなっていくのではないでしょうか。

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ダイナミズムとスピードを意識する

富士フイルムは本業消失という危機に見舞われた。プライオリティの最上位は、「写真事業の売上減少を補う新しい収益の柱を作る」ことだった。そして、この最優先事項を実現するために具体的に何をしなければいけないかというプランを構想していった。重要なことは、どのタイミングで、どれくらいのスピードで、どれくらいのスケールでやるか、スピードとダイナミズムを意識することだ。やるべきことは間違っていないが、スピードとダイナミズムがわかっていないために失敗するケースは多い。

狙いが良くても、グズグズと先送りしタイミングを逸してしまえばうまくいくものもうまくいかない。手術をしてある患部を切り取らなければ死んでしまうのであれば、できるだけ早く、一回で切り取るべきなのである。躊躇していれば患部が大きくなるし、ちょっとずつ切り出そうとすれば手術の回数も多くなり体力が続かない。

特にリストラは誰だってやりたくない。だから「できるだけ先送りにしたい」「小出しにしたい」という気持ちもわからないではない。しかし結局は、やらなければいけないことはやらなければいけないのだ。小出しにやっていては、その間に会社はどんどん体力を失っていくことになる。

グズグズしていたら、その後にやってきたリーマンショックに飲み込まれてしまっていたかもしれない。偏光板保護フィルムの製造ラインに巨額の投資をしたことも、いい例だ。当初、部下から上がってきた提案は、製造ラインを一つ作りたい、というものだった。しかし、古森氏は部下の説明から「これは一つのラインだけにとどめておくべきではない」と感じたのだ。

「もし再度投資するとしたら、次はいつ頃が適当だろうか」、「一年後くらいだと思います」ならば一度にやったほうがいい、と判断した。そうすれば納期も短縮されるし、コストも下がる。そして実際に一度に4つのラインの投資を決断した。結果的にそのことが、爆発的に伸びていた液晶テレビの需要にマッチして成功を収めたのだ。

「何をするか」という構想が正しいことは大前提である。その上で、「どのようなスピード感、タイミングでやるか」「どれくらいのスケールでやるか」を誤らないことが重要だ。

マッスル・インテリジェンスが経営者に求められる

なぜ多くのリーダーが、スピードやダイナミズムを見誤ってしまうのか。なぜ思い切って勝負することに二の足を踏んでしまうのか。頭はいい経営者はこうした過ちを犯し易い。やると決めたら、スピーディに、ダイナミックにやる。これは、頭がいいからできるものではない。ある種の野性的な賢さや勘、力が求められる。これをマッスル・インテリジェンスと呼んでいる。

たとえば火事などの災害に見舞われたときに、どの方向に、どれくらいの速さで走って逃げれば切り抜けられるか。そんなことは教科書には書いてないし、学校の成績とも関係がない。そういう状況を切り抜けられる人と、そうでない人の差は、インテリジェンスの差ではなく、本能、直感の差である。

決して勉強だけで身につけられない。子供のときから、海で泳いだり、山に登ったり、チャンバラごっこをやったり、喧嘩をし、その積み重ねが、本能・直感を磨き上げていくのだ。 大人になってから鍛えるのであれば、日々の仕事を通して感性を磨くということになるだろう。スピードやダイナミズムを意識して仕事をすることが重要である。

古森氏はCEOに就任したとき、「神になりたい」と思ったそうだ。そんな不遜な、と思われるかもしれないが、そうではない。神というものは全知全能の存在で、絶対に間違わない判断力を備えている。そのような知恵や能力が自分にあったなら、どんなにいいだろうか。そんな気持ちだったのだ。

古森氏は経営への姿勢は判断をしたら、絶対に間違えないつもりで全身全霊を傾けてきた。会社を救うためには、判断を間違えるわけにはいかなかったからだ。そうやって毎日仕事をしていると、本当にヘトヘトになる。寝ても覚めても会社のことを考えて、眠れない日もあった。決めなければいけないことが山のようにあるし、デッドラインも決まっている。経営トップになるというのは本当に大変なことだと改めて思ったものだ。

正直なところ、ギリギリまで悩み抜いても、結論が出ないこともあった。どちらにもはっきりした優位性が見えない。そんなときにはどうすればいいか。もしまだ時間に余裕があれば、時間を置いてみることだ。そうすると、潜在意識が解決してくれることがある。たとえば、寝ていて、ふと目が覚めて「あ、そうか」と思いつくこともある。

また、別の問題について考えているときに、ふっとその問題を解決のいとぐちが見えてくることもある。もちろん、こうした潜在意識が働くのは、常にその問題について考えているからだ。 では時間が残されていないときはどうすればいいか。そんなとき、私はこう思うことにしている。「これだけ迷うということは、どちらを選択しても、実は大して変わりはないんじゃないか」「もしかすると、どちらも正しいのかもしれない」こういうときに一番やってはいけないことは、迷いに迷って決断を先送りすることだ。

それでは、何も前に進まない。決断すべきときがきたなら、たとえまだ迷っていたとしても、とにかく決断するのだ。 たとえはっきり答えが見えなくても、決断し、それを成功させるのだと確信し、皆を引っ張っていく。そして実際に成功させる。それがリーダーの力量であり、仕事なのだ。

心身ともに健康な状態でないときも、判断に迷ったり、判断を誤ったりするものである。体調が悪いときには、決めるべきことが、決めるべきタイミングで決められなかったりする。いくら本能、直感が備わっていても、健康でなければそれらは機能しないのだ。また、いくら体力、気力があっても、精神的に疲れていれば、やはり判断に支障をきたす。

トップのメッセージが伝わらない時は組織が動かない現状と今後の展開を「読み」、何をすべきかを「構想」し、やると決めたなら、次にリーダーがなすべきことは、それらを明確なメッセージとして発信することだ。そのメッセージがきちんと届き、理解されれば、組織は自らその方向に動き出すものである。

古森氏は年に4回発行している社内報に社員へのメッセージを掲載したほか、本社や主要な工場研究所で年度方針説明会や新年のスピーチなどで必ず、富士フイルムが置かれている現状や、我々がどこに向かっていくのか、そのために何をし、中でも絶対にやらなければいけないことは何かを、繰り返し伝えた。

どんなに困難な状況であろうとも、「これをやればいいんだ」ということが理解できれば、人間は頑張れるものである。大事なことは読みを間違えず、向かうべき目標やプランを構想し、その目的をきちんと全員に伝え続けることだ。あとは実行あるのみだ。そしてこの実行が伴わないようであれば、それまでの読みも構想も、すべては何の意味も持たない。

実行に際しては、たとえ率先垂範しても「みんな、本当について来てくれるのだろうか」と不安に思うことがあるかもしれない。しかしリーダーのメッセージが伝わっていれば、組織はそれに向かって力を発揮するものだ。

参考文献:『魂の経営』( 古森重隆 著/東洋経済新報社 )

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