■現場とのビジョンの共有が変革へ
最近、市場環境が大きく変化し、お客さまのニーズも多様化してきています。そのため、会社の経営を刷新することが必要になってきます。そこで、社会や市場に合わせ、仕事の進め方や方法を改善し、場合によっては価値観さえも変えていかなければなりません。
変革の重要性は誰もが頭では理解していますが、言うは易く行うは難しいです。どの会社でも、現状の打破に抵抗はつきものです。変えることへの挑戦を繰り返し、途中で投げ出さず継続する執着心を奨励すべきです。
そもそも市場との相違で問題点を最初に気付くのは、現場です。現場から「このままでよいのだろうか?」という感性が生じ、「どうしたらよくなるのだろうか?」という模索し、「やってみよう」という行動力が育てば、これほど力強いものはありません。
リーダーがありたい姿を語り続け、周辺のメンバーと腹蔵のない意見交換をし、納得のいく職場ビジョンを描いていきます。それが共有されたとき、一人ひとりの中で「変える」ことへの動機が芽生え、行動へのエネルギーとなっていくのではないでしょうか。
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地道な努力の積み重ねが奇跡へ
黄色い車体の十勝バスは十勝の広大なエリアを住民の足となっていた。十勝バスは約15年前、倒産寸前だった。車社会が進みバス利用者数はピーク時の2割程度になった。経営する野村氏は長男の文吾に会社をたたむことにすると打ち明けた。文吾は他社に勤めていたサラリーマンであった。
今まで、父は文吾に「会社を継げ」とは一度も言ったことがなかった。 それどころか、経営する十勝バスではなく、安定した大手企業の就職を進めた。 だが翌日、文吾は父に、十勝バスの再建を切り出した。 実は前日の夜、文吾は胸が締め付けられるような想いしていた。 バス会社がなくなっても、自分が困ることは何もない。 だが、父が経営していたバス会社があったからこそ、自分は今、この上ない幸せな生活を甘受している。
このまま見ないフリをして通りすぎることはできない。 父は反対したが文吾は十勝バスへ入社する決意を固めた。こうして、34歳で十勝バスに入社した文吾は、経営企画本部長として280人の社員の陣頭指揮をとることになった。 その頃の十勝バスは、補助金なしでは運営できない状況。
一刻も早く立て直さなければ、倒産寸前の状況だった。 そこで、乗客数を増やすため、ポスターを貼ったり、チラシを配るなどの宣伝活動に力を入れようと行動した。しかし、社員達は、「ここは東京じゃないんですよ」と全く相手にされなかった。
それ以外にもサービス向上も訴えたが、サービスよりも安全第一と、運転手達に全く取り合ってもらえなかった。 社員の誰もが、客の減少は時代の流れ、何をしても乗客が増えることはないと諦めていたのだ。それでもなんとかしようとする文吾と社員が衝突するのも当然だった。
全く経験のない会社経営はあまりにも高い壁にぶつかり、途方にくれていた。 文吾は帯広青年会議所に入会し、先輩経営者たちとの交流をきっかけに会社を立て直すアドバイスやヒントを得たいと模索していた。会議所の長原さんと笠原さんはそんな文吾の相談にいつもつき合ってくれた。
ある日のこと。長原さんと笠原さんは愚痴をこぼしている文吾に「一緒に働いている社員をもっと愛せよ。お前は会社の事を話す時「自分たち」と言った事は、一度もない」と言われた。いままで、文吾は精一杯やっているつもりであったが、胸を一突きにされた気分だった。なにか大切なことが閃いた。
翌日、吹っ切れように、すぐに行動に移した。 おそるおそる従業員に謝罪、従業員を愛することを誓った。 早朝は出勤する社員全員に入り口で挨拶した。 ヒマを見つけては自分から社員に歩み寄り、少しずつ社員との距離を縮めた。
そして、社員の意見に耳を貸し、一人一人に自分の思いを語った。 その一方で、会社に残った僅かな資産を売却するなど、十勝バスの市民の足の存続のために、できることは全てやった。
相変わらず赤字は続き、厳しい経営状態ではあったが、嬉しいこともあった。 文吾の働きかけによって、社員達が少しずつ変わり始めた。 そんな頃、文吾は正式に社長に就任する。しかし、これからだと思っていた矢先、 原油価格の高騰で燃料費が高騰し、 十勝バスは倒産寸前に追い込まれた。さすがに、文吾はもう会社は建て直せないだろうと覚悟した。
だが、その時だった!!
社員から「営業強化するしかないですよね」という意見がでたのだ。 営業強化、それは10年前に一蹴された課題だった。 しかもその時一蹴した社員がそう発言したのだ。
文吾の情熱が社員の気持ちを動かしたのだ! さらに、現状維持を主張した社員が前を向き始めた そして社員達は、自発的に時刻表と路線図を各家庭に配る準備を始めた。文吾は新しい顧客の獲得につながると確信した。これは、かつてどこのバス会社もやったことのない、日本初のアイディアだった。
しかし、せっかくのアイディアだったが、配布するのは一つの停留所の周辺だけだという。 社員の中に新規顧客獲得にたいする違和感が残っていた。 それは、文吾が想像する10分の1ほど、はるかに小さい規模、社員達自らが出した初めての提案にかけてみることにした。
そしていよいよ、十勝バスでは初めて営業作戦が始まった。 むろん、社員達にとっても初めての経験。 緊張と恥ずかしさでポストに投函するだけでも勇気が必要だった。ポストに恐る恐る投函した時、意外に住民が声をかけてきた。社員達は必要とされていない路線バス、そんな路線バスの営業などきっと迷惑に違いないと思っていた。 しかし、嫌な顔をする住民は一人もいなかった。 逆にいろいろ質問される事の方が多かった。
そして数日後。いつもなら素通りする停留所に僅かだが客がいるのだ。 そこはまさに、社員達が初めて自分の足で営業した停留所だった。
バスに乗るのは手段で、目的でないと・・
これをきっかけに、社員達から様々なアイディアが出るようになった。 例えば、通院や買い物をする利用者のために、目的地別の路線図を作り、 定期を利用する客には、土日乗り放題の特別サービスを始めた。
また、市役所に行くなら○時の○番のバス、○○病院なら○番のバスと目的別に提案をした。これらは十勝では困難な事であった。実施後そのエリアを通る路線の利用者が増え始めた。 利用者の立場で考え出したアイディアは乗客にとって、新しく魅力的なバスの利便性が生まれた。社員を愛すると決めてから6年あまり。
その想いは、いつしか利用者を愛することに繋がっていった。 そして、十勝バスの利用者は増加していった。 十勝バスを取り巻く環境が少しずつ変わっていった。
自分たちは必要とされている、その誇りが彼らを支えていた。そして文吾が入社し懸命にもがき続け、13年目の2011年、ついに、十勝バスは増収に転じた。 地方の路線バスの増収は、実に全国初の快挙だった。 奇跡の復活を遂げた十勝バスは昨年に続き、今年度も増収し、 3年連続で補助金の割合は減少に向かっている。
そして社員達は、今も慢心することなく、今も寒い帯広を奔走している。 大きな改革をおこなうには、一朝―夕にはできない。地道な現場と市場との対話し、くじけない努力を続けることで達成される。
問題だと感じる感性を育てるには、問題だと感じたことを「変える」ための行動へ向かうように促すことだ。そして、変えることが出来たときは、皆で確認して喜び合う姿勢が大切である。
全社的に「現場力」を向上させていくには、一律的なアプローチではなく、意欲のある職場、人材を核として、小さい成功を見逃さずに体験を加速させることである。その小さな成功体験が、組織を強くするのである。社員の一人ひとりが、知恵と活力を高める革新が、大きな飛躍につながるのである。
参考文献:『フジテレビ アンビリバボー 十勝バス全国初の奇跡とは』( 2014年3月6日 )