「人類に大きな恩恵をもたらした発明」

スウェーデン王立科学アカデミーは先日、今年のノーベル物理学賞を赤崎勇氏(名城大学教授)、天野浩氏(名古屋大学教授)、中村修二氏(カリフォルニア大学サンタバーバラ校教授)の3氏に贈ることを発表しました。

受賞理由は青色LEDの開発です。LEDは1960年代に、まず赤色のものが開発されました。従来の照明と比べてはるかに消費電力が少なく済むうえ、寿命も長いLEDは画期的な発明でした。

その後、緑色のLEDも登場しましたが、光の3原色を完成させるのに必要な青色の開発は遅れていました。当時の技術では非常に難しかったため、専門家の間では、20世紀中の実現は不可能とまで言われていたそうです。実際、国内外の企業が挑戦したものの、うまくいきませんでした。

今回、基礎研究にとどまらず、応用分野まで含めて賞が贈られたことは注目に値するでしょう。青色LEDの登場で光の3原色がようやく出揃い、白をはじめあらゆる色の光を作り出すことができるようになりました。

「明るくエネルギー消費の少ない白色光源を可能にした」「人類に最大の恩恵をもたらした」「20世紀は白熱灯が照らし、21世紀はLEDが照らす」と高く評価された青色LED研究の歩みについて、少しご紹介しましょう。

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信念を貫いて

長い間、青色LEDの開発は研究者たちにとって越えられない壁でした。青い光を出す物質として当時注目されていたのは、窒化ガリウム、炭化ケイ素、セレン化亜鉛の3つ。はじめ、炭化ケイ素を用いて研究が行われましたが、明るさが足りませんでした。

残る候補はセレン化亜鉛と窒化ガリウム。窒化ガリウムは極めて硬いうえに、溶け始める温度がセ氏2500度以上と取り扱いが難しかったため、窒化ガリウムに未来はないと考える研究者が多く、70年代後半にはセレン化亜鉛の研究開発が主流となっていました。

そんな中、窒化ガリウムにこだわり続けたのが赤崎氏でした。「窒化ガリウムのほうが放出エネルギーが高く、結晶が安定していて優れている」と考えた赤崎氏は、松下電器産業(現 パナソニック)に勤務していた73年、研究に着手。窒化ガリウムこそが青色LEDを実現できる物質だと信じ、実験を続けました。

81年からは名古屋大に移って、ますます研究に没頭。このとき共に取り組んでいたのが、当時まだ大学院生だった天野氏だったのです。窒化ガリウムによる青色LEDについて国際学会で発表しても、反応が薄かったこともあります。それでもめげることなく、研究室に泊まりこんで実験に打ち込みました。

質が高く丈夫なLEDに仕上げるためには、できるだけきれいな結晶を造る必要があります。良いアイデアは浮かんだものの、その実現に最適な条件が見つかりません。

そんなある日、電気炉の調子が悪く、温度が上がらないまま使用したところ、トラブルが奏功し、見事な、無色透明の結晶ができました。1985年、ようやく純度の高い結晶を安定的に作れるようになったのでした。

セレンディピティ ― 偶然がチャンスを連れてくる

同様に、偶然から大きな成功を掴んだエピソードは数多くあります。例えば、ノーベル賞を創設したアルフレッド・ノーベルは、不安定な液体爆弾を安定化させようと苦労していました。あるとき、ニトログリセリンの保存容器に穴が開き、そこから漏れ出したニトログリセリンが固まっているのに気がつきます。容器周囲の珪藻土が安定剤として機能していたのでした。これがきっかけで、ダイナマイトの発明につながっていったのです。

最近の例では、2002年にノーベル化学賞を受賞した田中耕一氏の話もあります。彼はタンパク質の質量を分析する装置を開発していました。様々な手法を検討するも、ことごとく失敗。研究は暗礁に乗り上げ、打つ手がないところまで追いつめられていました。

そんなとき、実験で使用する試料に誤ってグリセリンを混ぜてしまいます。すぐ間違いに気づきましたが「捨ててしまうのはもったいない」とそのまま実験を続け、詳しく観察します。すると驚くべきことに、求め続けていた結果をはじめて得ることができたのです。

このように、科学的大発見には「セレンディピティ」(思わぬものや幸運を偶然見つける才能・能力)的逸話がつきものです。ただし、誤解のないようにしたいのは、待っているだけでは何も始まらないということ。

チャンスは準備している人の元に訪れるといいます。いつも頭のどこかで考え、見つけようとする気持ちを持ち、そのための努力を重ねていてこそ、それが幸運につながる偶然だと気づくことができます。そして、やってきたチャンスを十分に生かして、必然に変えることができるのです。

ミッションを持つこと

赤崎氏と天野氏の二人三脚で誕生した青色LEDは、中村氏のアイデアと結晶の成長装置の開発によって量産が可能になり、産業への道が大きく開けました。各家庭や店舗の照明、信号機、屋外ディスプレイ、町を彩るイルミネーション。青色LEDは社会に急速に浸透し、私たちの生活を大きく変えました。

人々に無理や我慢を強いることなく、大幅な節電ができるLEDは、地球環境を守るという時代の要請に応えるすばらしい発明です。今回のノーベル賞受賞は、その優れた省エネ効果が持つ大いなる可能性を称えるものです。 1993年に日亜化学工業(中村氏の当時の所属先)が青色LEDを発売して以来世間ではしばらくの間、青色LEDは同社が開発したように思われてきましたが「青色LEDの製品化には、多くの先人たちによる技術と執念の積み重ねがあった」と天野氏は語ります。

赤崎氏らのグループが高く評価されたのは、多くの研究者が見放した窒化ガリウムにこだわり続け、その努力が実を結んだからでしょう。中村氏の場合も、失敗を500回以上も繰り返しながら、装置の開発を成功させたのは、並ならぬ反骨精神、そして「世の中に役立つものをつくる」という想いからでした。

どんな業種であれ、イノベーションを実現できる企業に共通するのは、何かを成し遂げようという強い情熱です。その情熱の源こそ、ビジョンやミッション、理念なのです。 自分たちは何を目指しているのか。この事業の真の目的は何か。自社の利益を超えて、どんな社会的意義があるのか。

ビジョンやミッション、理念は、こうした問いに答えを与え、進むべき方向性を照らし出し、高い目標を達成せんとする人々を励まし導いてくれます。 強い意志と不断の努力をもってすれば、ノーベル賞級とまではいかなくても、きっと輝かしい成果を上げられるのではないでしょうか。

参考文献:日本経済新聞 朝日新聞 

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