■ 人は何かに動機づけられて・・
人は何らかの動機により、仕事に従事しています。その動機はおおまかに分けて、他者から統制されている外発的要因か、それとも自律的な内発的要因かの2つが考えられます。
例えば、昇給やボーナスなどの金銭的報酬から、一時的な即効で仕事に精を出すのは前者にあたります。この場合、報酬があるときは頑張れるのですが、それを継続するのは難しいようです。報酬を得ることが目的になってしまい、知恵を出したり工夫したりして、自分なりに仕事を楽しもうと努力することを阻害しかねません。
一方、内発的な動機から仕事をする場合には、仕事そのものに興味を持ち、意義を見出し、没頭することができます。困難な課題にも果敢に立ち向かい、それを成し遂げることでより一層の達成感を感じます。「やればできるんだ」「自分ならできる」という自覚によって、働き甲斐が高まることが証明されています。
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自律性を持つために
選択の機会を提供すること、それは広い意味で人の自律性を支える主要な条件です。したがって、他者に対して権限を持つ立場の者は、より多くの選択肢を提供できるよう、配慮する必要があります。大人数の学級、きびきび動かなければならないオフィス、多忙をきわめる病院であったとしても、やり方はあるはずです。
例えば病院では、食事療法や運動療法の計画を立てる際に、患者さん自身にも加わってもらうことができるでしょう。選択の機会を提供することがいつも容易だとは限りませんが、もしそれが可能ならば、必ずいい結果をもたらすことは間違いありません。
ポイントは、意味のある選択が自発性を育むことです。人は自ら選択することによって、自身の行動を十分に意味づけることができ、納得して活動に取り組むことができます。それと同時に、自由意志の感覚を得て、疎外感が減少し、自分がひとりの人間として認められていると感じるのです。
エピソード@ 高血圧の女性の話
高血圧のため、何年も薬を処方されている女性がいました。毎日欠かさず薬を服用するよう指示されていたのですが、なぜか彼女は従わなかったので、しばしば失神、心臓の鼓動の弱まり、胸の痛みなどを起こして緊急入院しました。医師はそのたびに厳しく注意し、薬を毎朝飲まなければいかに恐ろしいことになるかを説明しましたが、それでも彼女は処方箋どおりにしませんでした。
あるとき、彼女の甥が不思議に思い、どうして薬を飲まないのか尋ねたところ彼女は「実は、薬を飲むのを覚えていられないだけなのよ」と答えました。そんな彼女は最近、以前よりもずいぶん調子が良くなったそうです。忠実に薬を飲むようになり、そのおかげでもう何ヶ月も、緊急治療室のお世話にならずに済んでいるのだそうです。
彼女はなぜこんなに変わったのでしょうか。その大きなきっかけは、担当医を変えたことにありました。彼女は新しい医師をとても気に入っているそうです。その医師は薬について彼女と長時間話し合い、何時に薬を飲むのがいいと思うか問いかけました。
彼女は少し考えたのち「夜、寝る前がいいんじゃないかしら」と答えました。就寝前にミルクを一杯飲む習慣があるので、そのミルクで薬を飲むのであれば忘れずに続けられそうだと言います。実際、薬の飲み忘れはなくなり、病気が彼女の生活を邪魔することもほとんどなくなりました。こうして、新しい担当医の試みは驚くほどの効果をあげたのです。
選択が自律を促す
医師が彼女に選択の機会を与えたとき、ふたつの変化が生じていました。まず、行動の最適化です。薬を服用するという課題を彼女の習慣に組み込んだことで、無理なく実行できるようになりました。もうひとつは、責任感の芽生えです。自ら選択し、決定することを通して彼女の中に自律性が生まれ、内発的な動機づけを高めたのです。
もちろん、専門家が決定を下すべき場面も多いことでしょう。しかし、そんなときでも可能な限り、選択肢を用意するように心がけてください。内発的動機こそ、問題を解決に導くいちばんの要因なのですから。
丁寧な説明と適切な選択肢を
ところで、選択の機会を与えるといっても、どのような選択肢でも良いというわけではないので注意が必要です。ベストな選択をしようにも、当人が十分な情報を持ち合わせていなければ、うまくいかないのは当然でしょう。
たとえば、会計士に税金控除の相談をしている場合、事前の詳細な説明なしに選択肢を提示されても、途方に暮れるばかりです。意味のある選択をするには「それは合法の範囲か、それとも法に抵触するか」「条項にはどのように書かれているか」など、ひと通り把握していなければなりません。
さもないと、ただ負担を感じるのみで自律性からはほど遠く、知識不足により誤った判断を下すおそれがあります。
報酬が毒になることもある
報酬、つまりご褒美は、その与え方や心理的意味づけ次第で毒にも特効薬にもなり得ます。人はしばしばそれを心理的圧力と解釈します。特定の行為をするように強制する道具だと感じるのです。けれども、内発的動機づけを低下させない方法で報酬が用意された場合には、たとえ同じ条件であっても、その意味はまったく違うものになります。
自律を妨げる圧力となるか、それとも内発的動機を後押しする助けとなるかは、報酬を与える側の態度にかかっているといっても過言ではないでしょう。相手に自分の希望を押しつけ、思い通りに動かさんがために用意されたご褒美は、その意図とはうらはらに、不幸な結果を招くことがほとんどです。
エピソードA ある男子学生の話
ニューヨーク郊外の裕福な家庭に育った、ある学生のエピソードをご紹介しましょう。彼の両親は弁護士で、彼にも法律家になってほしいと願っていました。両親の期待通り、法学部進学コースで勉強を始めた彼でしたが、まもなく、自分がほんとうに好きなのは映画だと気づきました。
彼は休暇中に両親と話し合い、専攻を変えたいという希望を伝えたのですが、返ってきたのは「了解した。ただし、自分の力でやっていきなさい。そんなふうにおまえが大学生活を無駄にするなら、授業料はもう一切払わないから覚悟しなさい。」という厳しい言葉でした。
この両親は息子が一流の大学で勉強できるようにと考え、優れた環境を提供してきたのですが、それが統制を意味していたことも事実でした。彼らにとってお金は、望み通りの息子を作り出すためのもの、という認識だったのでしょう。授業料をめぐる決定的な対立によって、両親と息子の関係はこじれてしまい、彼は自分自身のために、両親と感情的な距離を置くことになりました。
報酬の正しいあり方とは
報酬を与える側の本心は、言葉づかいや態度を通して相手に伝わります。「すべきである」「しなければならない」といったニュアンスで語られるであろう統制的状況では、心理的な圧迫を経験すると同時に、課題への興味を失ってしまうことが研究で明らかになっています。
これはつまり、最も大切なはずの内発的動機づけに対し、マイナスの影響をもたらしているということです。皮肉なことに、報酬を利用して他者を統制しようとすると、まさにその、促進したいと思った動機づけそのものを、かえって破壊してしまうのです。
一方、自分が何かを成し遂げたことに対し、他者から認められた証として報酬を解釈する場合には、それを統制だと感じることはありません。そんなとき、報酬は内発的動機づけを損ねないだけでなく、むしろ後押しするものとして、大いに役立つはずです。
人は誰でも、自律的でありたい、自己決定したい、有能でありたい、周囲の人たちと暖かい人間関係を築きたい、という欲求を持っています。それを理解し、選択肢を与え、より良い方向に導くのが、指導者の役目だといえるでしょう。
参考文献:『人を伸ばす力 ― 内発と自律のすすめ』(エドワード・L・デシ、リチャード・フラスト 共著、桜井 茂男 訳 / 新曜社)