悔しさ、失敗が大きな糧に・・

ノーベル生理学・医学賞を受賞した、京都大学の山中伸弥教授は「失敗を沢山しなさい」と言っています。大きな目標に挑戦するとき、失敗を繰り返しながら、それを糧にして努力を続けることが成功につながります。

心底悔しさを味わい、どうすればうまくいくか、真剣に考えること自体が人間を大きく成長させるのです。成功や、すぐ克服できる小さな失敗からも学びはありますが、やはり、悩みや困難を乗り越えてこそ、より一層深みが出てくるのだと思います。

今回の冬季オリンピックでは、予想通りメダルを獲得した歓びや、大きな期待を背負いながら、惜しくもメダルを逃した悔し涙など、数々のドラマが生まれました。4年に一度の晴れ舞台で、不運にも実力を発揮できなかった選手たちは、どれほど悔しかったことでしょう。

しかし、その悔しさが彼・彼女らを逞しくすることは間違いありません。失敗をバネに、ひと回りもふた回りも成長した姿を見るのが楽しみです。

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金メダルの夢

2014年2月、ソチオリンピック、スキージャンプ。 日本中の期待と注目を集めた、高梨沙羅選手の挑戦は終わりました。17歳での初めての五輪出場。彼女を支えてくれる人々、応援してくれる人々への感謝の気持ちを胸に抱いて飛び、結果は4位でした。

国内はもちろん、海外からも金メダルの大本命と見られていた高梨選手。今季のワールドカップでは13戦のうち10回優勝し、一度も表彰台を逃さなかったのですから、無理もありません。

ソチ入りしてからの記者会見では、外国メディアの記者から次のような言葉も投げかけられました。 「沙羅さん、あなたのバッグには、もう金メダルが入っているんでしょう?」 試合前の彼女にプレッシャーをかける気などはなく、単純に、それだけ世界が彼女の才能と実力を認めていたのです。

けれども、オリンピックという特別な舞台、独特の雰囲気の中、周囲からの大きすぎる期待が重荷になってしまったのでしょうか…。高梨沙羅選手がロシアの冬空の下、メダルを手にすることはありませんでした。

風向きが結果を分けた

彼女が本番で飛んだ2本とも、着地以外はとても素晴らしいジャンプだったのです。ただ、高梨選手が飛んだときはどちらも追い風が吹いていて、ジャンプ競技においては明らかに不利な状況でした。そのため、飛距離を十分に伸ばしきれなかったばかりか、テレマーク(*1)も入れることができず、飛型点(*2)を落としてしまったのです。

*1 … 両手を水平に開き、しゃがんだ状態で、膝から下を前後に開く着地ポーズ。この姿勢を取らなければ、飛型点で減点対象となる。

*2 … 助走、踏み切り、空中や着地の姿勢・動作の美しさ、安定性によって得る点数。スキージャンプでは、飛距離点と飛型点の合計で順位を競う。

それでも最後までメダル争いに食い込めたのは、彼女の高い技術があればこそ。ただし、たとえ得点が僅差でも、3位と4位の間にとても大きな、非情な差が横たわるのがオリンピックです。

目に涙を浮かべ、「今まで支えてくださった皆さんにメダルを見せられなくて、ごめんなさい。」と語った天才少女は、しかし、言い訳を一切しませんでした。 「上手な選手は追い風でも持っていける。実力が足りなかったのだと思います。」

小さな 大ジャンパー

一般的にジャンプ競技では、身長が高く体重も重い選手のほうが有利とされています。体が大きければその分空気抵抗も大きくなり、高く飛べるので飛距離を稼げるのです。また、体重が重ければ滑降速度が上がって、やはり遠くへ飛びやすくなります。

一方、高梨沙羅選手の身長は1メートル52センチ。ワールドカップに出場している選手たちの中で最も小柄です。 実は、彼女は低い滑降姿勢を保ち、空気の抵抗を減らして飛んでいます。上にジャンプするのでなく、そのままの姿勢でジャンプ台を飛び出し、低い軌道を描く。助走のスピードを推進力に変え、他の選手より体ひとつ低いところを、他の選手よりも体ひとつ前へ飛ぶ。そんな風に飛距離を伸ばしています。

低い姿勢で滑降するには、強く柔軟な足腰の筋肉が必要不可欠です。彼女にはちょうど、10年間積み重ねたクラシック・バレエの経験があったので、そんなスタイルが実現しました。 ジャンプを始めたとき、彼女は8歳。小さな体でどこまで飛べるか試したい、という好奇心でいっぱいだったといいます。

練習日誌を毎日つけ、取り組む課題を意識して、目標を自分で設定しながら、地道に練習を続けてきました。そうやって、体が小さいハンディを乗り越えてきた結果、彼女ならではの大ジャンプを生み出せたのです。

試行錯誤の日々

こうして、誰にも負けないくらい遠くへ飛べるようになった高梨選手ですが、それ故に課題となったのが着地でした。彼女ほど遠くまで飛ぶようになると、着地点が平面に近くなり、テレマークを入れようにも足を出すのが難しくなります。衝撃も一層強まるため、安定した着地をするのは至難のわざです。

他の選手なら、飛距離を少し抑えてテレマークを入れやすくするところですが、彼女はあくまでも、できる限り遠くへ飛ぶことにこだわりました。飛べるだけ飛び、なおかつテレマークも入れられるように、猛特訓したのです。

世界一を目指すなら、飛距離点も飛型点もどちらも譲れなかったのでしょう。着地時の衝撃を膝だけで受け止めず、股関節を使い、体全体でしっかりと着地する練習を重ねて、ついにこの課題を克服しました。

次にぶつかったのが、新しいジャンプ台という課題でした。ソチオリンピックからジャンプ台の設計が変わり、勾配がゆるく、曲線部分が長くなりました。以前と比べ、体にかかる遠心力が弱まったため、踏み切りのタイミングをつかめません。そのズレは、遅れていることすら自分でわからないほど。

もっと感覚を研ぎ澄まさないと…。原因はわかっているけれど、なかなか調整できないもどかしさ。探究心旺盛な高梨選手は、ソチで開かれたロシア選手権に単身参加し、テストジャンパーを務めるなどして研究を続けました。

夢は次の舞台へ

「もし私がソチオリンピックで金メダルを取ることができたとしたら、それは私だけの金メダルではありません。今まで支えてくださった方々、みんなの金メダルです。今日の自分があるのは先輩たちのおかげ。オリンピックは、自分だけの夢じゃない。感謝の意味も込めて、豪快なジャンプが飛べたらいいなと思う。」 彼女はそう話していました。

そんな高梨沙羅について、昨年の世界選手権で優勝しながらも、8月に負った大怪我の影響で21位に終わったアメリカのサラ・ヘンドリクソンは、 「沙羅が表彰台に立てないのはとても驚きだけど、人間は誰でもミスしうるわ。彼女が素晴らしい選手であることに何ら変わりはない。」

「沙羅にはまだ、今回の悔しさを晴らせるオリンピックが次も、またその次もある。私も戻ってきて、次こそはしっかり準備して、メダルを取るわ。」 とコメントしています。

高梨選手自身も、またオリンピックに戻って来られるよう、もっともっとレベルアップしたい、と誓いました。きっと、今回の貴重な経験を糧に、4年後、最高のジャンプを見せてくれることでしょう。

                             

参考文献:「NHKスペシャル 金メダルへの挑戦 小さな大ジャンパー」

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