イノベーションに求められるのは・・

企業を発展させていくには革新や新機軸、つまり「イノベーション」が必要です。イノベーションの本質のひとつとして「既存の知と知の組み合わせから新しい知を生み出す」というものがあります。

企業組織は通常、すでにある知識や技術を深めることを重視しがちで、特に事業が成功している企業ほど、この傾向は強くなります。したがって、知識や可能性の幅を広げることはなおざりにされ、その結果、従来品を超える新たな技術や製品が出現すると、一転して窮地に陥る危険性があります。

フィルム事業で世界的に有名なコダック社は、世界で初めてデジタルカメラを開発しました。けれども、その後も高収益のフィルム事業にこだわり続けたために、急速なデジカメの進化に対応できず、ライバルに後れをとったのです。

当時、写真のデジタル化は大きな転換点で、他の企業にとってはカメラ市場に新規参入する大チャンスでもありました。もしコダック社が「知の探索」をしっかりと行っていたならば、デジカメの将来性と有用性に気づいたでしょう。知の深化と探索は、どちらも欠かすことができません。

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両利きの経営

この不確実性の高い時代、もはや従来通りのビジネスモデルをなぞるだけでは生き残りが難しくなってきています。企業は不断のイノベーションを迫られているのです。

イノベーションには「両利きの経営」が求められます。「両利きの経営」とは、世界の経営学の先端で今もっとも注目・研究されているイノベーション理論の基礎で、「幅広い知の探索」と「既存の知の深化」の両方を追求する経営です。

「探索」と「深化」 ―― ふたつのベクトル

知の「探索(Exploration)」とは、知の範囲を横に広げ、多様性を高めようとすることです。一方、知の「深化(Exploitation)」とは自らの専門領域を深く究めていくことを指します。

このふたつは正反対の方針にも思えますが、組織を活性化し、イノベーションを起こし続けるためには、両者のバランスが非常に重要なのです。

「コンピテンシー・トラップ」に陥るな

「コンピテンシー・トラップ」に陥るな ところが、概して企業というものは、身近にある知識ばかり活用し、知の探索を怠る傾向にあります。これを「知の近視眼化」と呼びます。とりわけ業績が好調なとき顕著になるようです。

たとえば、ある企業からヒット商品が生まれ、高い収益を上げたとしましょう。するとその企業は、その商品や技術をさらに改良・改善していくことで、よりいっそう大きな、安定した利益を得ようとするはずです。当然、組織の体制やルールも、その方向性に準じたものになっていきます。

それによって収益がさらに上がれば、その企業はますます知の深化を重視した組織作りを進めていくでしょう。つまり「当面の事業が成功すればするほど、知の探索を怠りがちになり、その結果、中長期的なイノベーションが停滞する」というリスクが、企業組織には内在しているのです。これが「コンピテンシー・トラップ」です。

知は、知と知から生まれる

知は、知と知から生まれる イノベーションを生み出すひとつの方法は、すでに存在している知と知を組み合わせることです。まったく何もない、ゼロの状態から新しいアイデアが降ってくることは滅多にありません。何らかの既存の知と別の知が出会うことで、新しい知が生まれます。

それゆえ、組織の知が多様性に富んでいれば、その組織はイノベーションを起こしやすいといえます。幅広い知識にアクセスできるということは、いろいろな組み合わせを試せるということだからです。

ただし、多様であればあるほど良い、というものでもありません。組織のキャパシティには限界があるため、欲張って限界を超えた知を取り込もうとすると効率が悪くなります。

また、新しい知の探索には時間や費用の負担も少なからずあり、そのうえ、必ずしも収益に結びつくとは限らない厳しさもあります。したがって、ほどほどに幅広い知識を持つことが、組織のイノベーションには効果的です。

「オープン・イノベーション」も有効な手段

「オープン・イノベーション」も有効な手段 では、「ほどほどに幅広い知」を得るには、どのような方法があるのでしょうか。ひとつの手段として世界中で盛んになってきているのが、企業などが提携して共同研究開発や技術ライセンシングを行う「オープン・イノベーション」です。

シスコやインテルなど、世界的なテクノロジー企業の積極的な技術提携戦略はよく知られています。最近では日本でも、オープン・イノベーションの気運が高まっているようで、一般企業にとどまらず、ベンチャーや大学、研究機関も参加し、産学官一体となって積極的に取り組んでいます。

それぞれの技術やアイデアを持ち寄ることで、自然と知の範囲が広がります。自社だけで研究・開発するのに比べ、迅速な製品化が可能になるため、市場のニーズに素早く対応できるというメリットもあります。国際競争力の強化を目指して、今後ますます増えていくことでしょう。

停滞の原因はどこにある?

クレイトン・クリステンセン氏が提唱した「イノベーションのジレンマ」は、巨大企業が新興企業の前に力を失ってしまう理由を説明した企業経営の理論として有名です。

競争環境を一変させるような(まったく新しい価値を生み出す)「破壊的イノベーション」が発生したとき、成功している企業の経営者・幹部ほど、環境の変化に対応できないとされています。顧客のニーズに合わせて、従来の製品を改良することに集中しているため、ニーズがない(ように見える)アイデアは切り捨ててしまうのです。

この考え方は、「成功した企業ほどイノベーションができなくなる」という点でコンピテンシー・トラップとよく似ています。けれども、イノベーション停滞の原因をどこに見出すかで、ふたつの理論は大きく異なっています。

経営陣の認識不足か、それとも組織体制か

インスタントカメラで一時代を築いたポラロイド社は、以前からデジタル技術に多大な投資をしていたにもかかわらず、1990年代のデジタル技術革命に対応できませんでした。同社がデジタルカメラ製品の商業化に出遅れた要因として、経営陣の間に「ハードウェア(カメラ機器そのもの)のビジネスは収益を生み得ない」という思い込みが浸透していた、という説があります。

もし、イノベーションの停滞が単に経営幹部たちの認識の問題であるならば、彼らに視野を広げてもらうという解決策が有効です。しかし、コンピテンシー・トラップの主張に沿って考えれば、問題の本質はもっと根深く、組織の体制にありそうです。

すでに述べたように、成功している企業には、知の深化を重視し、知の探索をおろそかにする性質が備わってしまっています。経営陣にすべての責任を押しつけるのは、ミスリーディングではないでしょうか。

末永い発展のために

いつまでも活気に満ちた組織であるため、企業はイノベーションを促し続ける必要があります。そのためには、知の探索と深化のバランスを保ち、コンピテンシー・トラップを避ける戦略・体制・ルール作りを進めることが重要です。

まるで、右手も左手も上手に使いこなせる人のように、知の探索と知の深化の両方を高い次元でバランスよく実現する「両利きの経営」―― もちろん、口で言うほど簡単なことではありませんが、これからの戦略を考える上で、きっと役に立つはずです。

参考文献:「世界の経営学者はいま何を考えているのか」( 入山 章栄 著 / 英治出版 )

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