■できない理由を探す文化は要らない
小惑星探査機はやぶさの帰還から1年と数ヶ月が過ぎました。地球に帰ってくるまでの7年間には、長期にわたり通信が途絶えたほか、エンジン故障などの難局にも直面しましたが、プロジェクトチームの不屈の精神と卓越した英知で、すべて克服していきました。
この、太陽系小惑星の地質を地球へ持ち帰るという世界初のプロジェクトをまとめ上げた、宇宙航空研究開発機構(JAXA)の川口 淳一郎氏のリーダーとしての独創性と先見的な思考には感銘を受けます。
プロジェクトの成功は、科学水準が低下傾向にある昨今の日本に、大いなる希望をもたらしてくれました。情熱と忍耐、判断力、細心かつ大胆に進める実行力。これらのおかげで、偉業を達成できたのです。
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太陽系がどのように誕生したかはまだ解明されていません。その謎を解くカギは、火星と土星の間に数百万個存在する小惑星の地質にあると考えられています。
その小惑星を探索するため、はやぶさプロジェクトが発足しました。プロジェクトマネジャーは、独立行政法人宇宙航空研究開発機構(JAXA)の川口 淳一郎氏。
川口氏は、プロジェクトが成功した要因として「できない理由を考えない」というJAXAの組織文化を挙げます。プロジェクト開始時も最中も、メンバーは「どうしたら先に進めるか」だけを考えていました。
「ソリューションの出来は60%でいい。完璧を目指していたら何も始められなかった。」と川口氏は語っています。小惑星に探査機を着陸させてサンプルを採取するという目的も、イオンエンジンを搭載した実現手段も、どちらも世界初の試みでした。
幾多の苦難を乗り越えて
探索する小惑星はイトカワと名づけられました。イトカワは太陽の周りを1年半で回り、3年に1度地球に接近するので、その機会を狙うことにしました。
しかし、それでも地球からの距離が3億kmあるため、電波の往復に40分かかり、はやぶさの位置を割り出すのに300kmの誤差が生じます。そこで、光学航法という手法を採用して、誤差を約1kmまで抑えることに成功しました。
こうして、いろいろな難題に遭遇し、それを解決しながら、はやぶさはついにイトカワに着陸します。けれども、着地時の制御がうまくいかず、3回ほどバウンドした後にようやく止まったため、機体が傾いてサンプルの採取ができませんでした。
そこで一旦イトカワから離陸し、再度の着陸を試みました。プログラムのミスで、弾丸を発射して粉塵を舞い上げることができず、全員が落胆しましたが、幸運にも着地時に僅かな微粒子がカプセルに付着していたことがわかりました。
その後、はやぶさは地球への帰還途中、燃料漏洩により高速スピン状態に突入、さらに通信が途絶えます。帰還に失敗すれば、プロジェクトの意義(サンプルリターン)がなくなってしまう。絶望感が漂いましたが、川口氏は可能性を信じて徹底的に調査しました。着地時の衝撃で噴射装置の一部が壊れて機体が不安定になり、太陽光パネルの向きが変わったために電源を確保できないと推理。機体が揺れて電源が確保されれば通信できると考え、タイミングを狙って電波を送り続けました。
イオンエンジン開発責任者の國中氏は「地球からのコマンド送信を1年はやるはめになると思った。」「もうダメかもしれないと思った。」と振り返ります。けれども、運良く46日後に返信をとらえることができ、チームに歓喜の渦が湧きました。
知恵と工夫の結集
帰還までの道のりは、決して平坦ではありませんでした。考え得るあらゆる事態を想定していたつもりでしたが、それを上回る予期せぬ故障が頻発し、そのたびに代替手段に切り替えて乗り切りました。
たとえば、エンジンの故障。4基のイオンエンジンがすべて壊れましたが、一部の機能は生きていたため、2基の壊れていない部分同士を接続して1基のエンジンとして稼働させました。これは、あらかじめ故障を見越して設計していたからできたことです。設計の理由や背景、その妥当性を川口氏は熟知していました。
「福島第一原子力発電所は、米GE(General Electric)の設計通りの配置だったと聞く。なぜその設計なのかを、東京電力は理解していたのか疑問に思う。」と彼は語っています。
また、川口氏はプロジェクトメンバーの士気にも気を配りました。はやぶさからの通信が7週間途切れたときのこと。チーム内に「いろいろな試練を乗り越えてきたが、もう無理か」という雰囲気が漂い始め、仕事のなくなったエンジニアが一人、また一人と現場を去っていきました。
チームのモチベーションが途切れたら、通信が復活してもプロジェクトを立て直せない。そう思った川口氏は、朝一番に来てポットのお湯を入れ替えるなど、細やかな気遣いで「プロジェクトはまだ続いている」ことを常にメンバーに意識させました。
伝えたい想い
はやぶさは大気圏突入で燃え尽きる運命にあります。川口氏は、はやぶさがそれを“嫌がって”エンジンを止めたのではないかと思い始めていました。けれども、はやぶさは故障を乗り越えて戻ってきました。「どうして君は、これほどまでに指令に応えてくれるのか」と川口氏は思ったそうです。
「最後にもう一度、はやぶさに生まれ故郷の地球を“見せて”あげたい」と考えたメンバーがいました。大気圏突入直前、装備したカメラで撮った最後の写真には、確かに地球が写っていました。こうして、世界初ずくめのプロジェクトは成功に終わります。はやぶさが命と引きかえに持ち帰ったカプセル内の微粒子は調査の結果、地球外の物質と認められました。
「できそうかもしれないギリギリのところを目標にする」という川口氏の意地がチームを牽引しました。彼はこのプロジェクトを通じ、「日本人はこれだけのことができる」と伝えたいと言います。最後は技術より根性、あきらめない心を持ってほしい、と。はやぶさプロジェクトでは、高度な技術と使命感を持ってしても、何度もくじけそうな状況に陥りました。それを乗り越えることができたのは、最後までやり抜く精神力と、チームワークがあったからなのです。
参考文献:『できない理由を探す文化は要らない』(Itpro XDev2011レビュー)