■「大学受験」と「生き方」のニ兎を追う
目標管理は組織目標からブレークダウンした個人目標の実現を個人裁量に委ねることにより、本人の自主性を引き出し、組織の革新を推進します。 ただし、目標設定されなかったことには努力しない社員が出てくるなど問題が起こっている。 それは、目標は目的を達成するための目当てです。
たとえば、「医者になりたい」は目標。目的は「医者になって○○がしたい」です。つまり、大学進学も就職も、「社会でどう生きるか」という目的を達成するための目標でしかない。 目標は他人から与えられる可能性がありえる。
しかし、目的は他人から与えられるものではなく、自分で見出すものです。 そこで「社員にもっぱら目標だけを課していないか。 組織が持つ事業の意味と、社員が持つ仕事の意味を重ね合わせることの支援をしているだろうか。」と振り返ってみることが大切です。
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「堀川の奇跡」で知られる京都市立堀川高等学校。その立役者、荒瀬克己。当時教頭だった荒瀬が中心となって1999年春に新設した「人間探究科」と「自然探究科」。その1期生がいきなり結果を出し、2001年に6人だった国公立大学の現役合格者は、翌年106人に増えた。
それから5年。2007年は京都大学の合格者を過去最高の35人、浪人生含め42人も輩出。今では京都市内の有名私立高校を脅かす存在だ。 学校にいてもすぐに校長室を抜け出し、ふらふらと校内を歩き回る癖がある。開け放たれた校長室で、荒瀬はこう言って笑う。「僕が知らない間に、みんなが仕事をしてくれる。私なんて漂っているだけ。校長浮遊論と言うんです…。」
最初は、冗談に聞こえたこの言葉。 後に、荒瀬流のマネジメント術を物語る本質だと気づかされる。学校が変わった本当の理由。それは制度改革でも学科の新設でもない。教師のモチベーションを最大限に発揮させる、校長の絶妙なマネジメント術にあった。
大学並みの研究に食らいつく
改革には教師の負荷増大がつきもの。過負荷を理由に教師が品川区への異動を嫌う「品流し」(*)の話を荒瀬に向けた。 (* 品川区は全校で学校選択制を実施、予算配分もその学校への入学者数によって傾斜。区全体を通じて競争状態。それだけに求められる職務も多く、現場の教員がそれをいやがっている。) 「うちもそうですよ、堀川流しって。
まあ、そういう言葉はないですけれど、忙しいですからね。他校の教師からは人気のない学校(笑)。 でも、来てみたらめちゃくちゃ楽しいですよ。先生はみんなそう言うてはります。」 週に2時間、2コマ続きの「探求基礎」の授業は各人が自分で決めた研究テーマを、期末の発表に向けてそれぞれのペースで進めている。
1クラスに4人つく教師は、教室を歩き回り、一人ひとりの面倒を見る。 大学のゼミのような光景が広がる。 「これが本当のゆとり教育ですわ。文部科学省がうちを真似して、総合的な学習時間を作りはった。」そう笑いながら案内してくれた教頭の川浪重治が、「今何してんの?」と女子生徒に声をかける。
「これより感度がいい物を自分で作って、今まで測れなかった薄い濃度の物質を測る研究です。」生徒が指さした機械は、島津製作所の「紫外可視分光光度計」。液体に溶けている物質の濃度を測る機械で、主に水質検査などに利用されている。その機械を超えたいというのだ。研究課題の設定は自由である。
「赤土への吸着を利用したリン酸イオン溶出抑制法の開発」「人の涙を見て起こる感情についての考察。」教科書の水準を超えた難解なテーマがずらりと並ぶ。 生徒に質問された教師は必死で専門書を読みあさり、時には大学の研究室に質問もするという。 週2コマでは足りず放課後や休日を利用する生徒が出てくれば、教師もつき合って残業をする。当然、給料は他校と変わらない。
「我々はむちゃくちゃ勉強してますよ。もう過労死しますわ。」探求基礎の責任者、研究開発部長でもある物理の教師、岩佐は冗談交じりに言う。 なぜ耐えられるのか。 「この子らと向き合って、成長してくれるのを見るのが、ほんまに楽しい。それに、卒業して活躍してくれたら教師冥利に尽きますやん。」教師の基本的な行動原理となる、生徒を教える楽しさ、応えてくれる喜び。
朝は7時に学校に出勤し、夜は9時過ぎまで残業を繰り返し、土日はクラブ活動につき合う毎日の中、教える楽しさや喜びを忘れてしまう教師は多い。 しかし堀川の教師は、それを持ち続けている。持ち続けることができる環境が揃っているからだ。
「適材適処」で教師に自由度
「人はパンのみにて生くる者にあらず、ですよ。楽しいと思えなくなったら、やっていけない。だから僕はその人に最もふさわしい処遇を行う。」と荒瀬は話す。 彼が最も大切にしている校長の仕事。それは、適材適所ならぬ「適材適処」である。
「研究好きな人は探求基礎の授業が面白くてたまらない。そういう人に徹底的に受験勉強を教えてくれと言っても多分できない。 逆もしかり。教師にだっていろんな人がいていい。」教師のポジションを割り振り、ミッションを与えることが「適材適所」であれば、荒瀬の「適材適処」は教師が楽しめるための自由な環境と裁量を与える。
例えば、荒瀬は夜遅くまで残っていたり、土日出勤が多い教師に「外に出てきなよ。」「来週、休んだら。」と声をかける。努力の見返りに金銭面の報酬は無理。ならば時間をあげようというわけだ。授業の空き時間に校外に出てコーヒーを飲んでもいい。と認めている。
教育委員会からすれば眉をひそめる話だが、荒瀬は「正しいと思うことをやっているだけ。」と一蹴する。個々の教師が思うように生徒と接し、思うような教育を実践する。教師を解放することで、喜びを得る環境を与えている。 もちろん、学校として学年として、何かを決めなければいけない時もある。そういう時は、何時間でも徹底して話し合う。職員会議も例外ではない。 実は、文科省や教育委員会は、職員会議での合議を認めていない。
「決定権限は校長にあり、職員会議は議決機関ではない。」というのだ。 しかし、「完全学校週5日制」が導入された2002年、土曜日の活用方法を決める時も合議で決めた。「私立は土曜日に授業をやっている。堀川はこれでいいのか。」年1回、投票で決まる議長に「土曜は午前9時から午後4時まで自習室を開放し、教師が当番で面倒を見る。」という議案が提出された。結果は賛成多数となった。
「自分たちで決めたから土曜日でも嫌がらずに出てきてくれる。合議制にはそういう良さがあります。」話し合いの文化は、生徒にも良い影響を与え、また教師の喜びとなる。
社会でどう生きるか
生徒が奇想天外なことを言い出せば「何でや。」から始まり、「ほな、やってみいや。」となる。 校長の荒瀬も、暇さえあれば校内をうろつき「何してんの。」とちょっかいを出す。そうした日常のコミュニケーションが、堀川の教師と生徒の距離感を大きく縮めている。
「いるうちは生徒は気づかない。卒業すると気づく。」と話す。 荒瀬は今年、ある卒業生からこんな話を聞いた。「今から学校寄るわ。先生とお茶すんねん。」浪人した卒業生が他校出身の友達に話すと「えっ、何の話すんの。」と驚く友達。卒業生も「えっ、何でそんなこと聞くの?話すこといっぱいあるやん。」と驚き返したという。 「堀川の顧客満足度がいかに高いかというエピソードですわ。ここにいた子にしか分からんのです。」と荒瀬は語る。
最後に、大学進学も就職も、「社会でどう生きるか」という目的を達成するための目標でしかない。「人間探究科と探究基礎は、生徒たちが将来の目的を見つけるためのキャリア教育です。」と学校は言う。
堀川高校が考える学校像は、学ぶ場であること、小さな社会であること、そして楽しいところであること。つまり、学ぶものとしての謙虚さを持ちながら、目的に向かって意欲的に取り組む生徒を育てようとしている。
参考文献:2007/05/28号 日経ビジネスより「大学受験」と「生き方」のニ兎を追い、変革を実践した堀川高校の教育再生