エキナカの奇跡

ドラッカーは「これが我々の事業である」と言いうる見識と「これが我々の事業のあるべき姿である」とのビジョンを明確することが重要であると述べています。 そして事業とは、市場において、知識という資源を経済価値に転換するプロセスです。事業の目的は、顧客の創造です。 企業活動は顧客に提供したものが、顧客のもとで「するコト」から生まれる顧客価値を創出し、提言し、提供し、顧客満足をしてもらうことです。

その現実に向かって全社が一丸となり取組めるような舞台をつくることが、コトづくり(ものに加えて人間の感性に訴える)なのです。会社の経営はモノづくり・コトづくり・ヒトづくりの三位一体が必要だと考えています。 そのため、知識の時代のリーダーは、さまざまなモノやコトを結びつけ、知のリンクを張り巡らせる能力を問われています。

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消費不況の影響でデパートやスーパーの売り上げは低迷していますが、その状況を少しも漂わせない人気の商業施設があります。それは駅の中で展開する通称「エキナカ」です。 駅のお店のイメージは売店や立ち食いそばというイメージが強いのですが、「人気のスイーツ店」や「惣菜」コーナー、そして「ゆったりと座れる飲食スペース」などを設けたのです。 それを行ったのはJR東日本グループのわずか平均年齢30歳の若き社員たちです。

そして陣頭指揮をとったのが鎌田 由美子(当時35歳)さんでした。 鎌田さんはプロジェクトを立ち上げるにあたり、冬の大宮駅で午前4時の始発から終電まで3日間、行き交う人々を見続けました。どうすれば「駅の再生」ができるのか。人々と同じ目線で同じ光景を見つめるうちに、1つのコンセプトが浮かび上がります。

「通過する駅」から「集う駅」へ、駅を変える。鎌田さんは目指す目的を明確にすると、駅のコンコースと商業スペースを結んで一つの空間としてとらえ、細部まで一体感を持たせることを最優先に位置づけました。

しかも女性や20代30代の若いビジネスマンをターゲットに新しい商業施設を作ろうと考えたのです。 しかし、様々な壁が立ちはだかります。 例えば、トイレの便座数は鉄道事業本部の営業部が駅の乗降客数をもとに決めるので、男性用の方が多くなります。でも、新しい空間が生まれると女性の方が滞留される確率が高くなります。 女性用を増やしたいと交渉すると算定根拠を求められました。

根拠はどこの駅にもないので、自分たちで百貨店のトイレに通ってデータをとりました。"これが現実になると想定されますが、いまのままで、もしお客様の長蛇の列ができたらどうしましょうか"と、いい方はソフトでしたが、中身はきつい交渉でした。と、鎌田さんは振り返ります。 コンコースの照明も、床材も、自分たちにデザインから保守まで任せてほしいと交渉すると、鉄道事業の各部門は既存の権限が切り離されることに抵抗を示しました。

社内からはプロジェクトに対して否定的な声があがり、改札の中の商業施設なので乗り換え客の邪魔にならず、安全性を重視しなければいけない、等の難しい点もありました。 事態を打開したのはトップの「鶴のひと声」でした。 「若い人たちが必死にやらせてくれといっている。新しい仕組みでやらせてみてはどうか」。

最後は役員会での大塚陸毅社長(現会長)のひと言で流れが決まったそうです。上司の新井取締役(現副社長)にも"責任は自分がとる"といってもらえました。この支援がなければ、消えていたでしょうと鎌田さんは振り返っています。 最も力を入れたのは、部下たちと「店づくりの座標軸」を共有することでした。プロジェクトチームが目指したのは「高質な売り場」です。その高質の基準は何なのか。

ある日、イチゴのショートケーキを20店舗から1個ずつ買ってこさせました。ブランド名がわからないようにむき出しで並べ、試食します。どれがいちばんおいしいか、議論し合い、高質という言葉の意味を体で覚えさせたのです。

しかし、今までの駅の売店や立ち食いそばのイメージが強すぎて、求めに対して怒り出すお店もあったほどお店の誘致は難航していたのです。 誘致がなかなかうまくいかない部下に対してリーダーの鎌田さんは、「今度はプロポーズするつもりで行ってらっしゃい。うまく説明するより気持ちを伝えることが大切、そうでしょ。」とヒントを与えました。 メンバーが店との交渉に奔走している頃、鎌田さんはさらに駅の常識を変えようと社内のさまざまな人たちに説得を始めていました。

モノの向こうにコトを見抜く

改札からホームへと続く通路などの広告スペースをやめる。通路の照明を間接照明に変更する。そこの壁の広告スペースは鉄道会社にとって大きな収入源であり、その広告をやめるということは当時ありえない発想でした。 また自分たちの商業スペースから外れた管轄外の照明を変えることで統一感を求めていたのです。

最初は渋っていた各担当者も、鎌田さんやメンバーの熱い思いが通じて許可をだすようになっていたのです。 こうして統一感の商業スペースを実現していきました。そして難航していたお店側の交渉も次第に出店する意欲を少しずつみせるお店が増えていったのでした。これも鎌田さんが部下に与えた秘策のおかげと、その交渉にあたったスタッフの情熱の大きさがなしえた結果です。

駅は普通の商業施設と違い、顧客が毎日2回必ず通る場所です。何も変わらないとただの風景になってしまいます。顧客を振り向かせるためには、常に変化し続けなければならない。そう考えて、常設店での商品の改廃だけでなく、二週間ごとに店内のフリースペースを使い、自分たちで企画販売などアイデアを練り上げ、イベントを打ち続けました。

鎌田さんは部下の育成にも力を入れました。歴史もあり、規模も大きい百貨店と比べ、生まれたばかりで規模も限られるエキュートが取引先と信頼関係を維持していくには、自分たちのなかに「枯渇しないもの」を持ち続けるしかない。 そのため、若いメンバーを交替で海外へ出張に出し、洋菓子のコンテストを視察させたり、クリスマスのイベント用商品の買いつけを経験させました。

勇気と情熱

鎌田さんがリーダーとして発揮した「勇気と情熱」がイノベーションを成し遂げたのです。 変革のイノベーションを実現するには勇気と情熱は非常に重要な要素であることを改めて教えられます。 エキュートのプロジェクトにおいても実践的三段論法が行われました。

すなわち、 [目的]・・「通過する駅」から「集う駅」へ、駅を変える [手段]・・それぞれの店舗のコンセプトに沿って高質な売り場をつくる [行動]・・けっして妥協せずに実行する 多大な困難にあっても、この実践的三段論法を推し進める原動力になったのは、勇気と情熱です。勇気と情熱は現場での直接経験から生まれるものです。

鎌田さんは取引先のリーシングについては、部下たちに自律分散的に任せました。若いメンバーたちもここで直接経験を積みました。 最後はすべてが同時多発的になり、メンバー人ひとりがその都度ジャッジメントしなければならなくなったとき、それらの直接経験が育んだ勇気と情熱がそれぞれの自律分散的リーダーシップを支えました。

成功するプロジェクトはプロセスも物語性に富みます。その物語の流れをつくり、人々を巻き込んでいく。変革のリーダーシップの一つのあり方を見ることができるのです。

参考文献:『イノベーションの知恵』(野中郁次郎・勝見明 著者)

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