■ ワールドカップからの教訓
アフリカ大陸で初開催されたワールドカップは華麗なるパスワークを駆使したスペインが優勝しました。個人技だけに頼るのではなく、その力を組織的に活かしたことによる勝利でした。
日本では活躍した選手の話題が続いています。世界的に熱狂するスポーツとして、ワールドカップほどのスポーツが他にあるでしょうか。サッカーはボールさえあれば、富める国、貧しい国を問わず、環境が違っている民族でも合理的な練習を行えば、優勝へのチャンスに恵まれます。
また、ルールが他のスポーツに比べてシンプルなわりに、高度なスキル、チームワークが要求されます。個人の技を活かし、それを支える組織力と相手のわずかなスキをかいくぐりながら、ボールをネットに蹴りこみ、1点という貴重な成果を獲得します。 企業が個人のモチベーションをあげ、組織力を強くし、製品開発、販売販路拡大などで、競合他社と凌ぎを削っているのと同じです。
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アフリカ大陸で初めて開催されたワールドカップはスペインの初優勝で幕を閉じた。国・地域のチーム、その成員である個人の双方に栄枯衰勢があり、時と場所と人を変えながら幾多の感動、興奮、ドラマを醸し出した。
日本チームは直前の強化試合では不成績で終わったが、意外にワールカップでは日本が国外で初めて勝利し、決勝シリーズに進出した。その影響で大勢の人が深夜のテレビに釘付けになり、日本中が歓喜に沸いていた。
そのような状況下で、NHKのスポーツ大陸の番組(再放送)がサッカー日本代表チームのキーマンである遠藤選手のサッカーへの情熱、想いを放映していたのを食い入るように見た。
遠藤選手は、職人技と言われる正確なボールさばきと的確な判断力を持つ司令塔である。攻走守に渡ってチームを支え、相手チームからは「危険なボランチ」であると紹介があった。また、縁の下の力持ち的存在となっている。
遠藤選手は3人兄弟の末っ子に生まれ、2人の兄とサッカーで揉まれて成長した。 長男は6つ年上、次男は4つ年上である。物心ついた頃から自宅の庭で朝からボールを蹴っていた。 兄たちと近所の子供たちがサッカー遊びをするが、ヤット(遠藤選手の愛称)は年の差のためかほとんどボールにさわれなかった。
普通なら面白なくなってやめると思っていた。と長男は回想していた。 それでも毎日、サッカー遊びに夢中になった。ただし、ヤットはボールに触りにいかないで、ボールの輪の外でボールが出てくるのを待っていた。
遠藤選手は当時、兄たちとのサッカー遊びは学校に行くより楽しかった。と振り返っている。 それは兄みたいにサッカーが上手くなりたい思いでいっぱいであったからに違いない。身近な目標があったからこそ、辛いことでもやり遂げられたのだろう。 また、彼なりにサッカーに対する楽しみを見つけていたと想定できる。
それは子供のサッカーではボールのまわりに団子になるが、ヤットはひとり放れて、ボールがでてくるところを予測していたのではないかと兄は言っていた。自分が先を読み、それが的中していったことでなにかしの面白みを感じていたはずだ。
ビジネスの世界でも難しい壁にぶつかり、いろいろな試行錯誤を繰り返し、諦めてかけたとき、意外な方法で解決方法を見つけだしたときの達成、充実感と似ている。
また、少年団のチームに入団した頃、コーチ(藤崎さん)が持ってきた高校選手権やワールドカップのビデオを擦り切れるほど見ては試合展開まで暗記し、気に入ったプレーをひたすら真似していたという。「もうじきこの選手が点を取るよ。」と幼い頃のヤットが得意そうに話す姿を藤崎さんは鮮明に覚えているそうだ。
彼の豊富なプレーのイメージ、攻撃面の創造性は2人の兄、ビデオテープ、そして少年団を通じて育ったのである。
大きな挫折が成長の糧に
しかし、遠藤選手には今回のワールカップの活躍までに、大きな挫折があった。 ビジネスの分野でも、足跡を残した人は大きな挫折を経験しそれを糧としている。 遠藤選手はシドニー五輪予選のU-22日本代表に選出され、アジア一次予選、最終予選でも先発出場した。しかし、2000年のシドニー五輪本大会では、予備登録メンバーとして選出されたが出場はなかった。
その当時の仲間の練習を見ていると、気分が滅入ることがしばしばあった。当時のトルシエ監督は果敢に攻めていく選手を重宝していた。と遠藤選手は振り返っている。 また2002 年、日本代表監督ジーコによってA代表に初招集されたが、レギュラーを勝ち取るには至らなかった。
結果として2006年のドイツW杯ではフィールドプレーヤー(GK以外の選手)で、唯一ピッチに立つことがなかった。
メンターの言葉を深く考える
2006年はピッチに立てなかった、その悔しい想いを振り払うヒントがあった。次の監督にイビチャ・オシムが就任した。
オシム氏は遠藤に向かって「もっと走りなさい。考えて走りなさい」と言った。 遠藤はこの言葉の意味を考え続けた。 チームのために走る。自分が走ることで、味方の選手が楽にボールもらい、楽にプレイできることを見つけた。
状況によって、走るタイミング、スピードを考える。ただボールを味方にパスして終わりではない。そして2008年の終盤から、自らゴール前に飛び出し、積極的にゴールを狙い始めた。
「中盤では、どんな場面でも出来る自信が年々増してきている」と言う。 堅実なプレーで、周りの選手の引き立て役だった男が、自らの得点への意欲に燃えている。 彼のプレー・スタイルはボールのキープ力が巧みで、長短かつ、正確なパスを回すゲームメーカー的存在となっている。味方の足元へピタリと合わせるパスワークは多くの選手の中でも指折りの精度を誇っている。
今回、ワールドカップのカメルーン戦での勝利は遠藤選手がサイドにいる松井選手にロングパスを正確に送り込んだことが大きな要因である。 また、長谷部キャプテンは「カメルーン戦で勝ったところからチームの一体感を強く実感した」と感想を述べていた。
組織を活性させるには、スローガンだけではなく、小さくても積み重ねることのできる"勝ち"を創りだすことだ。 意外に、優勝候補とうたわれていたチームが苦戦したのは、個人の力だけに頼る傾向があったからだ。
逆に、個人の力を華麗なパスワークでチームの力に結び付けて、組織力をアップできたスペインのチームが優勝した。 ビジネスの分野でも、営業マンがお客様から大切な案件情報を聞いてきたとき、営業組織としてお客様へ最適な問題解決をタイムリーに行う必要がある。
そのため、攻撃を組み立てられる遠藤選手のようなリーダーが、問題解決までのいろいろなプロセスで、その分野を得意とする担当者から意見、批評をまとめ、お客様が期待する以上の提案を行うことが重要である。
最後に、サッカーはボールさえあればできるシンプルなスポーツであるため、世界中の人々が楽しく興じられる。反面、上達するには高度なテクニックを必要とし、奥いきのあるスポーツである。
そのためサッカーを愛する心は世界共通、あらためて国と国、人と人をつなぐスポーツの魅力を強く感じる。 ワールドカップで最後まで全力を尽くす姿が人の心を動かすというのは、ビジネスにおいても通じるものだ。
参考文献: NHKのスポーツ大陸の番組で放映された「"危険なボランチへの挑戦"サッカー遠藤選手」