なぜ自分のしたいことを自分にさせることができないのか

さて、ある課題を成し遂げたいと実行するとき、始めは気分の高揚で進みますが、途中で苦痛、困難、不快なことで先延ばしをしてしまうことがよくあります。 その解決として、課題を何段階かに分け、分割した課題を順次克服して、達成感を味わっていく方法があります。

また、目標とした課題を他の人に公言して、やらなければと自分自身にいいプレシャーをかけてみることも先延ばしの解決方法です。

それでも、挫折しそうになれば、メンターに当たるような人に相談にのってもらって、何らかの克服するヒントや糸口を見つけることが大切です。 難しい課題への挑戦は自分の思いだけで進めるのではなく、外部環境からの制約、助言をもらえる工夫が必要です。

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一般に、生活習慣病が気になりだすと、規則正しく運動しようと計画をするが、ついつい休日にはテレビの前に座ってしまう。運動はどうしたかって? とりあえず、また間食にケーキをひと切れ食べて、明日から本気で始めることにする。当座の満足のために長期目標をあきらめること、それが先延ばしだ。

先延ばしの問題と自制心

アメリカの学生もレポートの提出などで先延ばしをする。新学期が始まるたびに、学生は大胆な誓いを立てる。読書課題を遅れずにこなし、レポートを遅れずに提出し、大概は上位の成績を維持しようと誓う。

しかし、学生は毎学期、誘惑にかられてデートをしたり、学生会館で友人とつるんだり、山にスキー旅行に行ったりしているうちに、課題がどんどん遅れていく。

最後には学生に感心させられることになるのだが、それは学生が時間に几帳面だからではなく、遅れたわけを説明するために、作り話や言い訳や家族の不幸をでっちあげる創造性を持ちあわせているからだ。 そこで、デューク大学でこの先延ばしの問題を調査するため、Aのクラスには12週間の学期中、レポートを3回提出してもらうことを行った。

レポートの締め切りについては「今週中に、それぞれのレポートの締め切りをいつにするか決意表明してもらう。いったん締め切りを決めたら変更はできない。提出が遅れたレポートは、1日遅れるごとに成績を1パーセント下げるというペナルティーを科す。もちろん締め切り前に提出する場合はなんのペナルティーもないが、どのレポートも学期の終わりにまとめて読むつもりだから、成績という意味では早い時期に締め切りを設定しても得になることはないはずだ。」言いかえれば、ボールは学生の側のコートにあるということだ。

学生たちに立派に試合をする自制心はあるだろうか。 3回提出の条件は(ただし、DD、KK、MMは自由に決めてよい。)
1.レポート1を第DD週に提出。
2.レポート2を第KK週に提出。
3.レポート3を第XX週に提出。
学生はどんな締め切りを選んだだろうか。完全に合理的な学生なら、すべての締め切りを講義の最終週にするだろう。レポートを早めに提出してもペナルティーはないのだし、わざわざ危険を冒して必要以上に早い締め切りを選ぶことはない。締め切りを学期末まで遅らせるのは、もし学生が完全に合理的なら、一番いい決断だろう。

だが、学生が合理的でなかったらどうだろう。誘惑に弱く、先延ばししがちの学生だったら、けっして合理的でなく、それを自覚している学生なら、締め切りを利用して無理やり自分の行動を改める手もある。 締め切りを早い時期に設定して、早いうちから課題に取り組み始めなければならない状況にすればいい。

学生たちは、教授が紹介したスケジュール管理ツールを使って、学期全体に散らばるように間隔をあけてレポート提出の時期を設定した。ここから、学生たちが先延ばしの問題を自覚していること、そして、ちょうどいい機会を与えられ、自制心を働かそうとすることがわかる。だが本題は、このツールが学生の成績をあげるのに実際に役立ったかどうかという点だ。それを調べるには、同じ実験を少し変形させて他のクラスでも行ってみた。

先延ばしの問題を自覚すれば克服もできる

そこで、Bのクラスでは、学期中はなんの締め切りもないと伝えた。学生は学期の最後の講義までにレポートを提出すればいい。早めに提出してもいいが、もちろんそれで成績があがることはない。学生たちは喜んだはずだ。

なにしろ、完全な柔軟性と選択の自由を与えられた。それだけでなく、このクラスの学生は、学期途中の締め切りに間に合わなくてペナルティーを科せられる危険もいちばん低いことになる。 最後に、Cのクラスには教授は3つのレポートに3つの締め切りを設け、それぞれ第4週、第8週、第12週に提出するよう指示した。これは命令であり、学生には選択の余地も柔軟性も残されなかった。

学期が終わったあとレポートを採点し、3種類の締め切り条件での成績を比較した。最終締め切り以外、何も締め切りを設定しなかったクラスは、成績が一番悪かった。自分で3つの締め切りを選べた(間にあわなければペナルティーがあった)Aのクラスは、3つのレポートと最終成績という点では二番目だった。

この結果から第一に、学生は確かに先延ばしする。第二に、自由を厳しく制限する(等間隔に配置した締め切りを強制する)のが先延ばしにいちばん効果がある。だが、最大の新発見は、学生に締め切りをあらかじめ決意表明できるようにするツールを与えるだけで、いい成績を取る助けになった。

この発見は、たいていの学生が自分の先延ばしの問題をわかっていて、機会を与えられればその問題に取り組む行動を起こし、それなりの成績向上を果たすことを示している。しかし、自ら課した締め切りの条件では、独断的な(外から課された)締め切りの条件ほど成績が良くなかったのはなぜだろう。

それはすべての人が自分の先延ばしの傾向を理解しているわけではなく、また、先延ばしの傾向を自覚している人でも、問題を完全に理解しているわけではないからだ。そう、人間は自分に締め切りを課すことがあるが、それが最高の成果を得られる締め切りとはかぎらない。

Aのクラスの学生が設定した締め切りを見ると、まさにこれがあてはまる。クラスの大多数の学生は、十分な間隔をあけて締め切りを配置していたが(そして、独断的な条件の学生と変わらないくらいの好成績をあげたが)、一部の学生は締め切りの間隔をあまりあけず、数人の学生はまったくあけていなかった。

締め切りの間隔を十分にあけなかった学生がクラスの平均点を下げた。適切な間隔をあけた締め切り・・・学期の早いうちから無理やりレポートに取り組ませるような締め切りがなければ、たいていはあわてて書いたお粗末なレポートができあがる。先延ばしの問題を抱えているにもかかわらず、自分の弱点を自覚し、認めている人のほうが事前に決意表明をすることで、自力で問題を克服できる。

決意表明で、なりたい自分になる

以上は学生を対象に行った実験の結果だ。では、これが日々の生活にどうかかわるのだろう。非常に深いかかわりがあると思われる。誘惑と戦い、自制心を少しずつ身につけていくのは人間の共通の目標であり、それを果たせずに繰り返し挫折することは多くの苦悩の種になっている。

まわりを見渡すと、正しいことをしようとがんばっている人たちが目にはいる。 ずらりと並んだデザートの誘惑から逃れてみせると心に誓うダイエット中の人、消費を抑えて貯蓄を増やそうと誓いを立てる家族。自制との戦いはまわりにあふれている。本でも雑誌でも目にするし、テレビの放映からでも自己改善や自助のメッセージが目に映る。

そのくせ、こうした放送での言及や出版界の注目にもかかわらず、わたしたちは学生と同じ苦境・・・「何度も何度も長期目標を達成できないで終わる」ことに繰り返し陥ってしまう。なぜだろう・・・ 事前の決意表明をしないかぎり、いつまでも誘惑に引っかかってしまうからだ。

何か対策はないだろうか。先ほどの実験から導きだされるもっともわかりやすい結論は、高圧的な「外からの声」が命令をくだせば、ほとんどの人が気をつけの姿勢になるということだ。なにしろ、最高の成績を収めたのは、教授が締め切りを設定し、教授が「親」のように命令した学生たちだ。

もちろん、いくら効果があるとはいえ、がみがみと命令するのがふさわしくなかったり、好ましくなかったりする場合もある。よい妥協案はないだろうか。最善の策は、人々に望ましい行動の道筋をあらかじめ決意表明する機会を与えることではないかと思う。

この方法は独断的な扱いほど効果的ではないかもしれないが、正しい方向に押しだす助けにはなる。おそらく、事前に決意表明をする練習をさせ、自分で締め切りを設定する経験をつませれば、もっと助けになる。 我々は、その時の満足と後からの満足にかかわる自制心の問題を抱えている。それは間違いない。

しかし、我々が直面するどの問題にも潜在的な自制の仕組みがある。給料から貯金できないなら、会社の自動積み立て制度を利用してもいい。一人で規則正しい運動を続ける気になれないなら、友人と一緒に運動する約束を取りつけてもいい。このように事前に決意表明するための手段は存在し、自分がなりたい自分になるのを助けてくれる場合がある。

課題(目標など)を達成したいときは自分の机の前などに書いて、いつも目にやきつける。また、他の人に公言して、いい意味で自分を追い込むことであることが言える。そして、挫折しそうなときメンターに相当する人に相談できる機会をつくることも必要である。

参考文献:「予想どおりに不合理 」著者 ダン・アリエリー(デューク大学教授)

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