■ 黒川温泉の奇跡の再生から学ぶ

  先日、経済ドキュメンタリードラマ「ルビコンの決断」の番組で黒川温泉が奇跡の再生をしていく様子を見た。
数年前、古風なたたずまいの中に露天風呂を備えた温泉宿が集まっているとの噂を聞いていたので黒川温泉を訪れた。確かに自然の中に、露天風呂を配置して評判どおりのいい雰囲気であることは実感した。

しかし、黒川温泉をここまで有名にしたいきさつまでは意識していなかった。 以前は、さびれた温泉の宿が20軒ほどあり、訪れる客はまばらであった。 その状況を打開するため、温泉旅館「新明館」の三代目主人である後藤哲也氏は京都や金沢の観光地をめぐり、現地で旅行者の動向、言動を調査した。

旅行にきていた人々の会話、言動から「癒し」や「くつろぎ」を求めているというニーズと、自然の中で開放されたいという欲求があることを見抜いた。 それには露天風呂が最も適していると確信を持つ。人は日々の生活から離れ、静かで、ゆったりしたところでくつろぎたいということがわかった。

後藤氏は黒川温泉を日本のふるさとにし、くつろぎには自然の中で四季を感じる空間にすることが最高のもてなしであると確信した。 そこで、温泉旅館に造り込まれた庭を壊し、山から引き抜いてきた雑木を植えた。 旅館に接する裏山の岸壁を3年かけてくりぬき、洞窟風呂を作った。黒川温泉がさびれる中、後藤哲也氏の温泉旅館だけが唯一にぎわった。
黒川温泉の組合の会合ではまだ、熱海風の歓楽街的な温泉地にして、イベントを企画すればお客はくるとの意見が多かった。 その意見には後藤哲也氏はガンと反対した。そのため、変わり者と言われていた。

その後、お客が来ない温泉宿の経営者はたまりかねて、後藤哲也氏に相談をもちかけた。 後藤氏は露天風呂を設置して風呂まわりには自然の木々を植え、あたかも森林の中にいるような雰囲気にすることを進言し指導した。すると、その温泉宿もお客が増えてきた。 その様子をみて、徐々に、他の旅館も露天風呂を増設していった。

しかし、個々の旅館が思いおもいで露天風呂を設置し、単独の温泉宿が栄えても黒川温泉の発展にはつながらないと考えた。黒川温泉を日本の現風景が漂う温泉地にするには、何かが欠けていた。
そこで、各旅館や道中での派手なカンバンをとりのぞき、天然木素材の板に毛筆文字で書かれた案内板にきりかえていった。 川にかかっている橋の色も赤から黒に変更した。

そのことで、温泉地は古い日本の田舎情緒が漂い、癒される温泉宿が点在するようになった。 黒川温泉は,普段ビジネスで時間に追われている中で疲れている人々が時の流れを忘れさせてくれる空間になった。 しかしまだ、黒川温泉が一つの大きな癒しの温泉地として発展するには、どうすればいいのかとの想いがあった。

それは、各温泉宿があたかも黒川温泉の客各室で、温泉街の道は廊下であるような雰囲気をもった温泉地にすることであった。 そのために、訪れたお客が気にいった数軒の宿の温泉に入ってもらうには、どのようなことをすればいいのかという話が起った。

しかし、自分のところに訪れたお客が、また他の宿にいき、その宿の風呂に入ることはおかしいという意見で解決方法はみつからなかった。 その問題で頭をかかえているとき、ある旅館の主人が床にある江戸時代の通行手形の飾りに気づいた。 それをヒントにして、温泉をめぐる入湯手形を発行する案が持ち上がった。

早速、その案の採用が決まり、一回ごとに料金をとる方式が決まった。 この方式で1986年に8万人(売上高720万円)となり、なんと2002年には来客数、売上高とも脅威的な119万人(売上高2億5600万円)となった。 これは数多くのお客さんが皆、口を揃えて「 自然の中で癒されるのが最高 」と云って帰り、再び訪れるリピーターが後を絶たないようになったからである。

それは各旅館の都合で露天風呂付の温泉旅館をするのではなく、全旅館が日本の原風景である自然と調和し、黒川温泉全体を癒しの空間にすることを意識したためである。
ドラッカー氏の仕事の哲学に「人間関係の能力を持つことによって、よい人間関係がもてるわけではない。自らの仕事や他との関係において、貢献を重視することによって、よい人間関係がもてる。こうして人間関係が生産的となる。生産的であることが、よい人間関係の唯一の定義である。」と述べている。

後藤氏はいい人間関係をもつことを意識したのではない。黒川温泉を日本一の古里が漂い、癒される空間をもった温泉地にすることに妥協をしなかった。その結果、訪問客に喜ばれることに多大な貢献をし、黒川温泉の組合からリーダーとしてみなされた。

後藤氏は個々の旅館の個性を意識しながら、想い描いている黒川温泉と調和させることに奮闘した。 そこで、旅館には外壁は質感豊な天然素材、無彩色、ベージュ、茶系、道路際ブロック塀は使用しない、樹木や生け垣で緑化などルールを決めた。 後藤氏は部分最適も意識しながら、全体最適化を行った。

会社でも全社的な方針で会社理念を実行しようとしたき、各部署の利益が先に立ち、会社全体として生産性をあげるために、調整すべきことがよく起る。そのためには、部、課で定期的にリーダーが懇親的な会合を開催し、お互いが理解しあえる場を必要とする。
このときに、ドラッガーの言葉に「大工と話すときは、大工の言葉を使え」とあるように、相手の状況を理解することが前提になる。

厳しいリーダーは、高い目標を掲げ、それを実現することを求める。誰が正しいかではなく、何が正しいかを考える。頭のよさではなく、真摯さを大切にする。 つまるところ、後藤氏は黒川温泉のあり方に真摯に向き合った。また、番組の最後のインタビューでは、黒川温泉はまだ完全になっていないと述べている。
ドラッカー氏の言葉に「自らが成果をあげ、組織が成果をあげることを望むものは、計画、活動、仕事を常時、点検する。これは今も価値ある仕事かと問う。」とあった。