■ 「ニーズの把握」は臆せずキーマンから

「優秀なベテランのスキルを皆で共有しよう」というのは、全ての企業、全ての分野、全ての仕事の基本です。平均的な人がベテランのレベルに一歩でも近つけば、 会社全体の業績が向上するのは当然です。それが営業の世界であれば即売上アップになります。
誰が考えても常識ですが、今まで、どの企業でも成功しないことがよくありました。

日本ロシュが1998年に「SST(スーパー・スキル・トランスファー)」という名称で営業生産性向上に取り組ました。まず全国から優秀なMR(医薬情報担当者)を24名選抜し、本社に集結しました。その大半は30歳代の第一線でバリバリ活躍している人たちです。
ただし、いくら業績が高いといっても、あまり個性的なMRは外しました。このSSTのプロジェクトは他のMRが真似をするのが前提なので、真似が出来ないようなユニークな特性の人は手本としてはあまり適当ではないと考えたからです。

SSTのメンバーを本社に集合させた際に、本社のほうでは基本的な方針を何も提示しませんでした。メンバーの中にはそれでは作業を進めることが出来ないといった苦情も出ましたが、それでも「SSTのメンバーのスキルに全て依存する」という方針は曲げませんでした。SSTのメンバーの話し合いは、現状分析から始めました。まず話題に上ったのが、現存のマニュアルの見直しです。

スイスの本社の資料や過去のノウハウを参考にして作成したマニュアルはすでに存在していましたが、それは現場にそぐわないというのです。その理由は「平均的なことは書かれているが、現場で通用するような具体的なスキルになっていない」というのです。
たとえば、「ドクターのニーズに合わせた資料を提供する」といった言葉は間違いではありませんが、それでは具体的な行動には移せません。

一口にドクターのニーズといっても「新製品の知識」なのか、「新しい処方の方法」なのか、「副作用に関する情報」なのか、様々だからです。 ドクターのニーズに合わせるといっても、まずその内容を把握していなければなりません。

その前提として、はたして各MRの担当ドクターの個別情報を事前に収集しているのか、もしそのような情報を持っていなければ、その情報の入手方法から始めなければなりません。
マニュアルの内容を現場に即した物にするためには、なるべく言葉を飾らないことです。万人の耳に心地よく響くような共通性のある表現は、往々にして抽象的で曖昧になりがちです。

「ドクターのニーズに合わせた情報」は万人の目標ではあっても、それでは実際には何も行動に移せません。たとえば、「新しい処方」の情報は、「副作用の情報」を求めているドクターには役に立たないのです。

たとえば、ドクターのニーズの把握ですが、これはMRが情報提供の際にまず必要になるポイントです。基本的なニーズ把握が大切だということはマニュアルにも書いてありますが、実際にはドクターが何を求めているのかが分からないMRは多いのです。

相手のニーズが分からなければ、どのような情報を提供したら役に立つかが分からないのは当然です。

営業成績がいまひとつのMRは、キードクターの周辺の人から話を聴いたり、看護師に質問したり、時には他社のMRから情報を収集しようとします。なぜこのような方法をとっているかといえば、直接キードクターに質問して嫌われたら困るといった思い過ごしからなのです。

キードクターの考えを知りたければ、「このような時には、先生はどのような処方をされますか?」と直接聴けばよいのです。 仕事の話なので、相手のドクターも別段嫌がりません。

ドクターの考え方が分かれば、それに関係する情報を提供するだけの話なのです。 製薬業界のMRの役目は、ドクターの治療の知識に薬の処方の情報を提供して効果を上げることです。

ドクターは専門の治療の知識は豊富でも、薬に関してはそれほど知識を持ち合わせているとは限りません。たとえば、「この病気には、この薬を処方する」といった一般的な知識はあっても、MRが「この薬には覚醒効果もあるので、このような使い方も考えられます」などといった一言で、「じゃ、今度はそのような処方をしてみようか」といった展開にもなるのです。

本来のMRの仕事は、このようなドクターの処方を、より効果的にする情報を提供することなのです。そのためには「ドクターのニーズの把握」,「ニーズに合わせた情報の提供」, 「分かりやすい説明のしかた」などが中心ですが、日本ロシュではそれらの一連のベテランの行動を分析し、実際に現場で実行できる具体的な行動レベルでのスキルを各MRにトランスファーしました。
その結果、1人のベテランが3か月間にわずか2名のMRしか指導しないという非能率的な「同行指導」で、売上23%アップという最大の効果を発揮したのです。

参考文献:現場の知恵が会社を強くする。 山口弘明著 日本経済新聞社