人を動かすのは・・

ドラッカーは、マネジメントを活用してより大きな成果をあげるには、その人の考え方や日頃の取組み姿勢が重要になると述べています。その基盤になるものとして「真摯さ」をあげています。

「邪心のない清廉で誠実な一貫した姿勢と行動」といった内容です。 真摯さを学び、身に付けることは、そうたやすいことではありませんが、向上心が身につき、他人の良いところに気づくことがでます。

また、正しいことを追い求めることができる人間になれます。そういった人は自然と人望が生まれ、自分を慕う人間が現れるはずです。そのようにして生まれた人望は、決してお金で買えるものではなく、その人自身のひごろの行動、思考から出てくるかけがえのないものでしょう。

真摯さというのは、人の上に立つ人はもちろん、そうでない人も来るべきに備えて身に付ける必要があると言えます。

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ヤマト運輸の元社長小倉昌男氏の想い

小倉氏は社長を務めているとき、さまざまな組織改革を進めた。トップに立った以上は、完壁とは言えないまでも、できるかぎりいい会社をつくり上げて後進に譲りたいと考えていた。。

社員すなわち働いている人は、必ず自分の仕事に対する評価を求める。自分自身で「よくやった」と思えたとしても、それだけで満足できる人はまずいない。いい仕事をしたという手ごたえがあるときほど、他人にも「いい仕事をした」と認められたいものだ。しかし、これが一筋縄ではいかない。。

なぜなら、単に「よくやった」と褒めるだけなら簡単だが、人事考課における評価とは、要するに「点数をつける」ことである。実際に成績を点数で表すとはかぎらないが、一定の基準に沿った「通信簿」を作らなければならない。その基準をできるだけフェアで客観的なものにするのが、むずかしいからだ。。

サッカーや陸上競技のようなスポーツなら、勝ち負けは誰の目にも一目瞭然である。ゴール数の多いほう、タイムの速いほうが高い判定の評価ではっきりとなる。しかし、オリンピックのマラソン代表選考では「基準があいまいだ」と日本陸上競技連盟が批判されたことがあった。また、そのスポーツの世界にも、フィギュアスケートやシンクロナイズドスイミングなど、評価基準がわかりにくい競技がある。。

採点競技もマラソンの代表選びも、低い評価を受けた選手は、必ず不満を持つわけで、会社の人事考課にも似たようなところがある。社員の成績は必ずしも客観的な数値を計算できるわけではない。評価に「審判」の主観が入り込む余地がでてくる。誰もが納得するような方法で行うのは容易ではない。

人事考課の課題

しかし、問題が沢山あっても実行しなければいけないのが人事考課というものである。だからこそ、多くの経営者や学者たちが、公平な評価制度についてさまざまな工夫、知恵を出し、研究書や解説書が数多く出版されている。評価する項目の設定や採点の集計方法などは、それなりに合理的なものもある。しかし、客観性の課題がどうしてもすっきりしない。

どんなにシステマチックな制度を作っても、最終的に点数をつけるのは機械ではなく人である。フィギュアスケートの判定を見ればわかるとおり、同じ評価対象に全員が同じ点をつけることはない。

人にはそれぞれ性格というものがあるから、他人への評価が甘い人もいれば辛い人もいる。部下の評価に1点から10点まで極端な差をつける人もいれば、全員を無難に4〜7点ぐらいのあいだに収めてあまり差をつけない人もいるだろう。

社員にしでみれば、いつも点数の辛い上司の下に配属されてしまったら不運である。評価の基準は人によって違う。いったん社内で下された評価というのは、いつまでもその社員についてまわる。

人事異動で上司が代わっても、前に最低点をつけられた人が急に満点に近く上がることはない。前任者の評価をまったく無視するということは、誰もやりたがらないものである。大して実力はなくても、たまたま配属された部署に恵まれ、よい結果を出せた者もいるだろう。

前任者が無能だったために相対的に有能に見え、実力以上の評価を受ける者もいるに違いない。当然、その逆もある。会社というのはあくまでも集団として継続的に仕事をするものだから、個人の実績に還元するのが難しくなる。

社員の中には会社の役に立つ人もいれば役に立たない人もいるが、そこはきちんと評価しなければいけない。では、会社の役に立つ社員とはどういう人か。いくら分析しても個人の実績を客観的に評価できない以上、だれがどのくらい仕事ができるかを見分けることはできない。ならば、企業が「われわれは仕事ができる人を求めている」と言っても意味がないだろう。

さらに言えば、仮に仕事のできる人がいたとして、それが本当に会社の役に立つのかどうかもわからない。何を言いだすのかと驚かれるかもしれないが、たとえば社員の中には、「あいつは仕事はできるが、面倒見が悪い」などと言われる者もいる。

そういう人が本当に会社の業績アップに貢献しているのかどうか疑わしいこともある。 逆に、「人柄はいいけど、仕事は頼りない」と言われる人が会社の足をひっぱっていると断言することもできない。

大概の組織は上位2割:中位6割:下位2割

どのような組織になっても上位2割:中位6割:下位2割の法則があり、集団で行動している以上、何がどう作用して結果が出ているかはわからない。 小倉氏は兵隊の経験がある。その経験から軍隊というのはほかのどんな組織よりも、のろまな人がうとんじられるところだ。

戦闘になったときは、グズグズした人が一人いるだけで部隊全体が危機に瀕することになりかねない。同僚のスキルに自分の命がかかっているのが、軍隊という「職場」なのだ。それに加えて、昔の日本軍の場合はふだんの生活も「仕事のできない人間」は周囲に迷惑をかけることになった。

というのも、当時の軍隊には「戦友」という制度があって、掃除はじめ何事も2人1組で仕事をさせられる。だから、ペアを組んだ相手がすばしっこくて気の回る人だと得をするが、のろまな人と組むと大変だ。

なかなか仕事が終わらないし、ミスも多くなるから、自分はしっかり仕事をしていても上官に殴られたりするのである。また、軍隊はいわゆる善人が損をする世界でもある。倫理や道徳にこだわっていると、あの過酷な環境では生き残れない。

他人のまんじゅうをかっぱらって食べてしまっても平気でいられるような人間が勝つのだ。まごまごして自分のまんじゅうを盗まれてしまい、「腹が減ったなあ」などとボンヤリしている人はバカを見るのである。

だから軍隊では、人間性は悪くてもすばしっこい人間が評価された。しかし、終戦後に当時の仲間で集まってみると、そういう連中が必ずしも出世しているとはかぎらない。逆に、のろまで周囲にさんざん迷惑をかけ、いつも腹を空かしていたような善人が、税務署の署長か何かになって立派に仕事をしていたりする。

そういう現実を見ると、最後は人柄がものをいうのだと思えてならない。世の中というのは、仕事上のスキルは足りなくても人柄のいい人のほうが役に立つようにできているのではないかと想うことがある。 もちろん、能力の低い社員が大勢いれば、会社の業績は上がらないだろう。

しかし、小倉氏はあえて極端なことを述べるが、たとえ売り上げが落ちたとしても、それが会社にとってどれだけマイナスだというのか。よくよく考えてみると、売り上げを伸ばすことにどれだけの値打ちがあるのかよくわからない。

「人間万事塞翁が馬」ということわざもあるように、世の中、何が幸いするかわからないものだ。 たとえば病気は、だれもが不幸だと感じることのひとつだろう。しかし、なかには病弱だったお陰で兵隊に行かなくてすんだ人もいる。

今この瞬間は病気よりも健康のほうがいいに決まっているが、長い目で見れば、どちらが幸福かをいちがいに言うことはできないわけだ。会社の業績も同じで、売り上げが落ちればだれだって落ち込むが、それがいつどんなことから幸福に転化するかはだれにもわからない。

最後にものをいうのは人柄

そのように考えてみると、仕事の能力や実績で人を評価することにどれだけの意義があるのか、ますます理解できなくなってきた。しかも客観的な評価がほぼ不可能だとなれば、むしろ仕事とは直接関係のない「人柄」で判断したほうがいいのではないだろうか。会社の業務は、すべて人が人のためにやることだ。

そうであるならば、最後はよりよい人間性を持った人ほど、そこで大きな貢献を果すのではないかと思うようになった。 小倉氏は「辞める前に評価制度について答えを出しておかないと悪いな」と思っていたが、諦めざるを得なかった。いささか乱暴に意見になるが、実績だけでは社員を評価できないし、評価しても意味がないという結論に達した。

参考文献:『「なんでだろう」から仕事は始まる!』 小倉昌男 著/講談社

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